1/fって何すか。2014.10月号

<#9 エボラ出血熱流行の考察 >

 私は靴の中に小石が混じっていると、すごく気になってしまい、人混みの中でも靴を脱いで小石を捨てる、そんなタイプの人間です。
おそらく多くの大人達は、「ああ、なんか靴の中に小石混じってるけど、家に着いてから取ればいっか」と思うんでしょうが、私にはそれが出来ない。つまり違和感に耐えられないのです。

 しかし、同時に大勢の大人が持つべき違和感を私は持っていないことにも最近になって気づいてきました。靴の中の小石にはひどく気を取られるのに、着ている服の裏表が逆になっていることには風呂に入るまで気づかない。そんな子供のような性格が治らないまま今まで歳をとってきたのかもしれません。

 私が最近経験した違和感について一つ話をさせてください。エボラ出血熱の報道についてです。

 今、西アフリカを中心にエボラ出血熱が流行していて、その流行はかつてに類をみません。
 9月現在、5,700 人以上が罹患し、2,700 人以上が死亡しています。死亡率が48%という高さをもつ恐ろしい病気です。このことは日本のニュースでも報じられています。しかし、もし地球儀を渡されてリベリアを指差してくださいと言われてどれだけの日本人が指させるでしょうか。ほとんどが指差せないでしょう。私もそうでした。

 私が感じた違和感は、“世界でこんなにもたくさんの人が亡くなっているのに、日本人は興味を持たないのか?”ということでは決してありません。おそらく、今はデング熱について知識を深めるのが日本人にとっては賢明なのでしょう。

私が感じた違和感は、“2,700とか5,000 という数字はそんなに簡単に見過ごせる数字じゃないんじゃないかな?”という点です。見過ごしがちになってしまうのは恐らく、その数字に含まれる人達、すなわちここから海を越えた遠くに住む人たちのことを、私たちにとってほとんど「赤の他人」だと思ってしまうからでしょう。

「赤の他人」はどこから先のことをいうのでしょうか。その基準は日本人かどうか?同じ宗教?一度喋ったことが有るか?血が繋がっているか?でしょうか。

僕には好きな人がたくさんいますし、その人たちにも好きな人がいます。好きな人の好きな人は果てしなく続いて、もしかしたら自分まで一周するかもしれません。

この世界に「赤の他人」は居ません。

 靴の中に混じった小石は、小石じゃなくて、もっと私たちが探していて、気づくべきものなのかもしれません。

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