ややこい話。1/fって何すか。11月号

大学生だった頃、授業で課題が出て、そのレポートを提出した際に、先生に「この内容は、理解は出来るんだけど、納得できないんだよなあ」と言われ、やり直しを食らったことがある。私としては、その評価こそ納得がいかなかったのだが、しぶしぶ書き直して提出した。その後、納得させることができたかは未だに不明だが、先生のご慈悲でどうにか「合格」の印鑑を押された。

「理解はできるけど、納得できない」って何だよ。頭では分かっているはずなのに、どうも心の奥がモヤモヤする。まあ、そういうことなんだろう。これに似たような言い回しは他にもあって、例えば意中の相手に告白をした時に言われる「あなたのことは好きだけど、そういう風には見れないの」とか。やっぱり、頭と心は別々の場所にあると考えるしかないのか。

しかし、こんなことを言える時代というのは、なかなか贅沢で、平和だなとも思う。何百年も昔、時の将軍徳川綱吉が“生類憐みの令”を発令し、犬猫に危害を与えようものなら簡単に人の首がはねられた時代、誰がそんなことに納得しただろうか。もしかすると、世界は、理解も納得もできない時代の方がよっぽど長かったのかもしれない。
話が少し逸れてしまったが、この平和な時代では、SNSでもワイドショーも多くの「納得いかない!」で溢れているし、それが民主主義の産物だとしたら、首をはねられるよりかはマシか。

さて、いい加減に本題に向き合わなければいけない。
理解は出来るけど納得がいかないことを、納得するためにはどうすれば良いのだろう。
もう仕方ないといって諦める?それは“受け入れる”ということ?何となくごまかしとく?時間が経って少しずつ忘れていくのを待つ?いや、どれも何度も試したけど、しっくりこなかった。今、私がこの課題に対しての考察を提出するならば何を書こう。

“納得できないものは、納得できないと、納得するしかないのです。
それが自分らしさというものであって、どうしても納得したければ己の変革を遂げなければなりません。己の変革なくして、それでも納得はしたいなど、虫の良い話です。
納得をするということは、一種の降伏なのです。”

「不合格」。そりゃそうだ。理解できるし、納得せざる得ない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?