河口まなぶ、自動車ジャーナリストへの道

【2020年2月3日に#7と#8を追記】

ツイッターにつぶやいている、 #自動車ジャーナリストへの道  をここnoteにまとめておこうと思います。ツイートが増える毎に、追記していく形にしたいと思います。

#自動車ジャーナリストへの道 1】大学1年の秋。歩いてたら可愛いフィアット500を展示してる中古車店を発見。そのまま店をたず訪ねてアルバイトさせてくれとお願いしたら、即採用され翌日からバイトに。免許ないのにw で、それから免許をとりに行き、バイト先に仕事と運転の両方を教えてもらった。

#自動車ジャーナリストへの道 2】自動車ジャーナリストになる!と思ったのは大学2年の時、バイト先で自動車専門誌「Tipo」を読んでたら、新車をレポートする仕事があると気づく。クルマ好きだし文書くのも好きだし、これなら毎朝スーツ来て電車に乗らない仕事だと思い「これになろう」と決めた。

#自動車ジャーナリストへの道 3】大学4年まで中古車店でバイトし様々な輸入車に乗った。就職活動でモーターマガジン社を受ける。CGの二元社は募集なしだったので、小林彰太郎さん宛に手紙を書くも返事があるはずもなく。またノスヒロの芸文社も受けた。芸文社から内定をもらうも卒業できず留年w

#自動車ジャーナリストへの道 4】留年し1単位半期だ
ったので、就職活動で応募したMM社人事部に電話しバイトしたいと伝え採用。4WDオフロードスペシャルという四駆専門誌でバイト。キャプションやイラストも書いた。ページ作り覚えつつ、モーターマガジンやホリデーオートの人足して仕事を覚えた。

#自動車ジャーナリストへの道 5】MM社の専門誌で原稿書いたり、撮影アシスタントしつつ、他に仕事がないかも模索。当時のMM社に出入りしていた日下部保雄さんからレブスピード紹介いただいたり、斎藤慎輔さんにお会いしサーキットへ連れて行ってもらい運転に目覚める。他誌の方も紹介いただいたり。

#自動車ジャーナリストへの道 6】中古で36万円のAW11に買い替えてサーキット走行会通い。仕事的にはMM社以外もやり始め、一般誌などにも活動を広げた。全ては人と人とのつながりでコネが増えていく。しかも当時フリーのジャーナリストで若手はほとんどおらず、ほぼ全ての専門誌と仕事した。

#自動車ジャーナリストへの道 7】MM社でバイトをはじめて、他の専門誌や一般誌で書くまでには約2年くらいだった。この時点で既にフリーのライター(クルマ専門)と名乗ってOKな感じだったといえる。自分がこの仕事を目指すきっかけとなった「Tipo」にも同じ頃に初めて書かせていただいたのだった。

#自動車ジャーナリストへの道 8】とはいえ、この頃自分の名刺に「自動車ジャーナリスト」と肩書きを入れていたか否かは不明。肩書きを入れたのは、日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)の会員になってからだったような気もする。当時の会長だった日下部保雄さんからお誘いをいただきAJAJに入会した。確か27歳の時。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?