国宝 大崎八幡宮
平安(794年に桓武天皇が平安京に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間)に東夷(中国東方の異民族の総称)征伐に際して坂上田村麻呂が武運長久を祈念して、宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に移し、鎮守府八幡宮(ちんじゅふはちまんぐう)をまつった。
その後、室町時代に奥州のおっさんが自領内(現宮城県遠田郡田尻町)に守護神として崇敬した。
その時から世から大崎八幡宮と呼ばれ、奥州のおっさんの死後、伊達政宗が現在の場所に持ってきた。
ということで簡単にまとめると
坂上田村麻呂→奥州のおっさん→伊達政宗
という順に受け継がれてきている。
この際(伊達政宗が引き継ぎ、今現在建っている場所に建設するとき)に豊臣家に仕えていた大工のおっさんが手を加えたことにより、桃山建築の特色が見られる。
大崎八幡宮は安土桃山時代のわが国唯一の遺産として国宝建造物となっている。(昭和27年)
大崎八幡宮は今の場所に慶長9~12年に作られた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%B7
東夷-Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E6%99%82%E4%BB%A3
平安時-Wikipedia
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