時々こういうマジレスをやってしまう

しもんさんはTwitterを使っています: 「前からの疑問なんだけど、卒論やレポートを手書きで書いてた最後の世代ってどの辺りになるんだろうか…? 以前50代くらいの知人に聞いてみたところ、80年代にはすでにワープロが存在していたと述べており、そのため彼も手書きでは書いたことがないと言っていた。」 / Twitter

しもん さんのこの疑問が私も気になったので、少し調べてみました。
まず、ワードプロセッサーの普及がいつごろから起きたのか『現代用語の基礎知識』自由国民社、を手掛かりにさぐると——
 1982年版 「ワードプロセッサー」の項なし
 1983年版 独立した項目はカタカナ語辞典の方にあるが、詳しい説明はなし。
 1984年版 OA社会用語の解説(執筆者:山本直三)が新設され、ワードプロセッサーの項目が作られる。このカテゴリは85年、86年版にも続けて掲載される。
どうやら1983年あたりが怪しいようです。この年にMicrosoft Wordが初めて登場し、この2年後には一太郎が現れますから、おおよそ1980年代中盤が、ワードプロセッサーの(少なくとも概念が)普及したころとみてよさそうですね。木村泉、1993『ワープロ作文技術』岩波新書 の9ページにある、1984年の時点でパソコンの値段が「まあ自前で買ってもいいか、という感じになった」という述懐もこの推測を後押しするでしょう。

 では、学生にとってはどうだったのか。ちょうどこの頃(1984年)に新装版を出した早大出版部編『卒論・ゼミ論の書き方』早稲田大学出版部 の105ページには、「原稿用紙に向かおう」の項が設けられています。つまり、ワープロのことは想定されていない。調べた限りでは、ワープロの話は木下是雄、1990『レポートの組み立て方』筑摩書房 の201ページまで待つことになります。「レポートもワープロで書くことが多くなっている。」さらに古郡廷治、1992『論文・レポートの文章作法』有斐閣新書 はワープロの話はしていないものの、第2章の扉にあるカットとしてパソコンが描かれており、「知的な文章=ワープロ」という図式が成立していた可能性を示しています。今ある資料だけを問題にするなら、1984年から1990年ごろの間にワープロが学生に普及したということになるのでしょうか。

 ところが、こういう記述もあるのです。「おそらく他系にくらべ、理工系の人は、ワープロを使うことには恵まれた環境にあると思う。しかし卒論作成時期には、込み合って使いにくいかもしれない。自分で持っていれば一番よいのだが、1ヵ月くらいのレンタルを利用する手もあるだろうし、友人に借りるのもよいだろう。」(太田恵造、1996『卒業論文作成の手引き』アグネ技術センター、p.11)
つまり、少なくとも(略歴から、当時青山学院大学で教えていたと分かる)太田さんからみると、ワープロはすべての学生の手元に行き渡っていなかった、ということです。とすれば、最終的に提出するものはワープロで作ったにしても、下書きは手書きで行われていた可能性があるでしょう。ここから、小笠原喜康の有名な『大学生のためのレポート・論文術』講談社現代新書 が出るまで、たったの6年です。

 また補足すると、大学教員一人一人のコンピュータに対する態度も問題にする必要があります。というのは、私も大学生なのですが、去年ある学期末のレポートを手書きで提出したのです。全国的に見れば、手書きの利点をまだまだ信じている大学教員も少なくないかもしれない。
 
 以上の調査と体験をまとめると、次のような結論が引き出されます。
1980年代中盤に普及したワープロは、1990年までの間に大学生の手に届くものにはなっていたが、あらゆる大学生に行き渡ったと断定するには留保が必要である。また、大学教員によっては手書きでの提出を義務付け続けている場合がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?