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素行

 2003年7月1日生。兵庫県在住。保育園は遠すぎてしばしば欠席したが、小学校は病気以外では休まなかったはずだ。ハリーポッターを読む側の子供で、どちらかというと肥満児だった。コロコロコミックを買ってもらい、『ポケットモンスター ブラック』をやりすぎて近視になり、幾つか年長の友達の家に行って、それぞれ別のゲームをした。
 中学校では一年生で漢検2級をとり、成績がよく、柔道部の同級生から先輩と呼ばれる。学級委員長となってクラスの馬鹿どもを叱り、合唱コンクールででかい声を出し、美術部ではひねくれた行動ばかりとっていたため、ラブライバーだったK君の話を聞いてやることができなかった。いまの自分を考えると、悪かったと思う。
 高校入試で中一から目指していた地域で一番難しい公立校に受かり、燃え尽きる。入学前課題から卒業まで、まともに課題を出さずに過ごす。課題だけでなく、全方面でのらりくらり過ごしていた。美術部もほとんど出なかったし、LINEを使っていなかったので生徒会の仕事は回ってこなかった。誰と喋ったかも覚えていない。叱ってくれた先生の名前だけだ。一番印象に残っているのは、コロナ禍への対応として貸し出されていたタブレットで、ゆっくり実況を見ていたことである。当時は家にネット回線もパソコンもスマートフォンもなく、このタブレットが初めてのインターネットだったのだ。睡眠時間が大幅に減った。
 酷い状況だが、いちおうある程度継続できたこともあって、筝曲である。『この音とまれ!』の影響ではなく、中3のときに好きだった人が吹奏楽をやっていて、自分も音楽をやろうと思ったものの、吹奏楽部の練習日程に堪えるだけのモチベーションはなく、それに同じ部を選ぶのはなんか恥ずかしいので、邦楽にいったのである。おおむね、欠席しなかった。
 高3の夏は数学に費やしたが、あまり身についた気がしない。
 大学に入学する。入学準備としてノートパソコンを得、家に回線も通った。準備は整ったということだ。インターネットにハマるべくしてハマる。明らかに、Twitterやってなきゃ落ちてない単位、が、一つや二つではない。罪悪感、に加えて睡眠不足、通学にものすごく時間がかかるのもあって、見通しの暗い一年前期を過ごす。とはいえ、ではインターネットやめてりゃよかったかと言えばそうではなく、わたしはTwitterやYouTubeや個人ブログから、多くの手がかりを貰ったのだ。みんな賢かったし、絵も上手かった。力(リキ)入れて音楽を聴き、アニメを見てた。彼らに出会わなかったら、背伸びするのさえもっと遅かったはずだ。みんなありがとう。
 一年後期に、どの学問も全部つながっているんだ、となんとなく了解して、ぼんやり専攻を決める。で今に至る。

 ツイッターではピンときた一節を引用したり、思いつけば短歌をつくったり、絵を描いたりしています。
 よろしくお願いします。

※2023年1月5日投稿の記事全文を消去し、書き直した。

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