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祖母のこと

絵に描いたような婆ちゃんっ子だった私。

保育園の運動会を見に来た祖母が、
遠くから手を振ったのを見て、
帰ると思って大泣き。

知らない間に祖母が帰っていて、
大泣き。

私の中の優しさの象徴は祖母なんだなぁと思う。

物心ついた頃から、
祖母が死んでしまうことをとても恐れていた子どもでした。

わたしには、
心のどこか奥の方に、
大切な人との別れ。
という悲しい記憶が染み込んでいるように感じることがある。

私が2歳くらいの頃
祖父が先立ち、
その祖父の仏壇に、
『婆ちゃんを連れていかないで下さい。』
と手紙を書いたことを今でも覚えている。

祖母が死んでしまった時の事を考えて、
夜中にシクシク泣く日も何度もあった。

その後、私が幼稚園の頃
父と母が別れ、
母と祖母と私の3人の生活になった。

小学校2年生くらいになる頃だろうか、
祖母といつも一緒にいることを少し恥ずかしく感じるようになった。

祖母は声が大きく、
社交的で工事現場のお兄さんにも話しかけたりするような性格でした。

年頃になるにつれて、
少しずつそんな祖母の姿が恥ずかしく思えた時があった。

今思えば、普通の子どもの成長と思えるけど、
なんだかそんな気持ちを抱いている自分がとてもとても後ろめたく感じていた。

嫌な言葉を口にしてしまうこともあったし、
それをずっと子どもながらに申し訳なく思っていた。

思春期で学校生活に悩んだ時、
母にも話せない事を祖母には話していました。

高校卒業後、進学で家を出ることになりました。
車に乗り込んで振り返ると、いつまでも手を振る祖母が見えた。
わたしも見えなくなるまで手を振った。

進学後はなかなか実家に帰ることもなく、
その間に祖母は自分の田舎の家に帰ってしまっていた。

子どもだった自分はもういなくて、
大人になっていくんだ。
と感じたのはこの時だったのかもしれない。

卒業後もフラフラと定職にも就かずに生活していた私は、実家に帰る交通費もあまりなく、
20代の前半はほとんど帰省せずに過ごしていました。

20代半ばになり、
ようやくまともに?帰省するようになった頃、
祖母は腰も随分曲がって、痩せて小さくなっていた。

その後、病を患い田舎の家を引き上げ、
叔母家族の家での生活を経て、
最後は病院暮らしになった。

毎年病院を訪ねて行くにつれ、
幼い頃の祖母の姿、顔から変わっていった。

その姿を見て、
段々と祖母の死を意識するようになった。

幼かった頃のそれとは違い、
もっと静かに感じていたように思う。

私が結婚を予定していた年、
祖母は天に帰っていった。

『あんたはもう婆ちゃんがおらんくても大丈夫やね。』
と言われているような気がした。

その年のお正月、
祖母に旦那を会わせる事ができていて、
本当によかった。
ほんとうに。



先日テレビを観ていたら、
七夕か何かの企画だったのだろうか。

小学生の男の子がお爺ちゃんに、
『お年玉、たったの千円だけか〜。
と言ってしまってごめんなさい。』
と伝えていた。

何だか自分を見てるようで泣けてきた。

祖母を思い出す時、
仏壇に手を合わせる時、
ありがとうと一緒にごめんね。
と伝えていることがある。

私は祖母が生きている間に、
胸に抱えた思いを伝える事ができなかった。

でもきっと祖母の事だから、
どこかでしっかり聞いてくれていると確信している。 

ありがとうばーちゃん!
どんなに離れても私にはあなたの血が流れている。
この縁が切れることはないのだ。




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