自分の幸せを定義すること

突然だが、貴方にとっての幸せとはなんだろうか?
・年収2,000万円で、東京臨海部のタワマンに住み美女と高級ワインを飲むこと?
・年収800万円で、流山おおたかの森のマンションでテレワークを最大限活用しながら、家族と仲良く暮らすこと?
・年収500万円で、Uターン就職し、都会の喧騒から離れ、生まれ故郷で家族や旧友と暮らすこと?
・外資系企業で激務に邁進しながら、成果を残しスキルを磨き、高給を貰うこと?
・JTCで窓際族となり、程よく給料を貰いながら、自由な時間を最大化すること?
・大学の友人と酒を酌み交わしながら、昔話に花を咲かせること?
・コリドー街でひたすら持ち帰れる女子を求めてナンパし続けること?

これらは日々ネット上で、これこそ至高として主張が飛び交う生き方のうちのいくつかであるが、当人達にとっては間違いなくどれも幸せなのである。

ただ、”これこそ至高”という主張は極めて難しい。我々はみんな育ってきた環境があまりに違う。夏がダメだったり、セロリが好きだったりするし、何に幸せを感じるかも違う。

隣の芝生は青く見える。ネットで上記のような主張を見たときに羨ましい思いが募り、焦り、そちらの方向に走り始めたいと思うかもしれない。
ただ、ここで一度立ち止まって、自分が本当にそれで幸せになるかを冷静に考えるべきだ。

今までの人生で、どんな時が幸せだったか、振り返るといい(ライフラインチャートのようなものを使うと振り返りやすいかもしれない)。その時の思いを反芻しよう。いくつか幸せだったタイミングが思いつくはずだ、そこから自分が何に幸せを感じる人間なのかを定義しよう。

自分の幸せが定義できたら、後はそれを実現するための計画を立てる。何をすれば、そこに到達できるかを考えよう。その計画を人にも見てもらうと尚良いものができる。

人生は短い。これから向かうべき方向についての意思決定は慎重にしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?