【徒然】2048から思うこと ~賢さとは~
2048というゲームにちょっとハマってました。
2と2をくっつけて4を作り
4と4をくっつけて8を作り
ってのを繰り返して2048を目指すパズルゲームです。
もともとブラウザゲームのようでしたが、スマホアプリもあるので興味のあるかたはお試しを。
これがまあ難しいのですわ。
最初のうち2000~3000点ほどしか獲れませんでした。まあ勘で「こうするのがよさげ!」でプレイしてたので当然っちゃ当然。
一緒にやってる他の人は10000点とか超えてるのに。悔しい。
悔しいのと投げやりになってきたのとで、カエル積みっぽいのを試してみました。
※カエル積み … 代表的な落ちゲー「ぷよぷよ」で、考えずにひたすら右に積んでいくプレイスタイル。カエルの敵キャラが使うので、こう呼ばれる。
つまり決め打ちですね。
いくつか試した結果
「右→上→左→上」
を繰り返すやり方がなんとなくよろしい。
この決め打ちをやってると、大体4000~5000点は獲れるようになりました。
って。
考えずに作業する俺 > 考えて作業する俺
という図式が完成してしまいました。
考えずにやったほうが優秀な俺の頭脳って一体。
さすがにこれは自我の危機だと思いまして、なんとか決め打ちな自分を自分で上回らねば、と。
そのタイミングで、知人の息子さん(浪人生)から「大きい数字を端に集めていくとよい」というアドバイスをいただきました。
なるほど、近い数字をくっつけていくのだから、配置にはその大小で偏らせたほうがよい。そしてより頻繁に動かす小さい数字にスペースを持たせ、大きい数字ほど端に固めておくのがよい。理に適っています。
この助言通りにプレイしただけで、軽く10000点を超えました。
そこから改良を重ねた結果、最大の数字を左上に固定してそこから動かないようにするというプレイスタイルに辿り着き、これが見事にはまりまして最終的には30000点超を獲ることができました。ありがとう浪人生くん。できればこんなゲームやるより勉強がんばれよ。
で、ですね。話はここで終わりません。
このスタイルでひたすらプレイして、まあ毎度毎度高得点が獲れるわけですが、途中で「ほとんど考えずに、ほとんど条件反射でプレイできる」ようになってきた自分に気付いたのです。
なんだなんだこれは一体。
考えない俺を上回ってやろうと考えながら続けたら、また考えない俺が出てきたぞ。でもこっちの俺のほうが優秀だ。
とはいえ「考えない俺」もひとつめとふたつめでは性質が少し異なります。
ひとつめの考えない俺は本当に考えていません。どんな状況になろうとも手順を変更することはありません。
ふたつめの考えない俺は、少しは考えてます。「あ、この状況は前にも見た状況だから、こう対処するのがよい」と状況とその対処をパターン化し、考えるエネルギーを減らしていって辿り着いたものです。
言うなれば、武道での『型』でしょうか。
というわけで2048のプレイスタイル史をまとめるとこうなります。
■暗中模索→2000~3000点
考えているようで、単なる「下手の考え、休むに似たり」。
■決め打ち→4000~5000点
エセの『型』。全く考えてない。
■試行錯誤→10000点
論理的な根拠のある方向性のもとに、状況と対処のパターン化作業。
■型→30000点
パターン化された状況と対処のもと、ほとんど条件反射。頭脳的ではなく、むしろ身体的。
もしかしたら更にこの型を上回ることができるのかもしれませんが、さすがに単なるゲームでそこまで追求する気にはなれませんでした。
このようにプレイしてきた自分を振り返ってみますと、この変遷って実は他のことにも当てはまるのではと思い、筆を執ったわけです(スマホだけど)。
右も左も分からず始めて、これかなと思ったのが違って、きちんと考えて試行錯誤した結果、ひとつのスタイルに辿り着く。
これで連想したのが、幼少の自転車の練習ですね。
それはそれはまあ最初は全く分からない。えいやえいやと漕いでは転びます。なんとかガクブルと漕ぎだし、あ!勢いあったほうが転ばないじゃん!と気付いて、それを繰り返し、そしていま自転車を漕ぐのにいちいち頭を使ったりしません。
そんなことに限らず大人になっても。
いま就いている仕事とか、そんな変遷を辿ってませんか。
あるいはクリエイターの皆さんなら自分のスタイルに辿り着くまでにこんな変遷をしてきたのではないかと想像もしたり。
さて、サブタイトルに「賢さとは」と付けたわけですが。
一応ここで言う賢さの目的を「より優秀な結果を出すため」としておきます。
人類が戦争という愚かな過ちを繰り返さないために、という目的には(まあ方向として間違ってはないけど)ちと荷が重いです。
営業の成績を伸ばすため、クライアントが満足するデザインをするため、草野球での打率を上げるため。その程度でいいです。
2048だけで見ると、最上級の『型』は賢いとは言えないことになります。だって頭脳を使ってないから。
しかしそこに辿り着くまでにかなりの頭脳を使っています。状況と対処のパターン化。ひたすらインプットとアウトプットの繰り返し、フィードバックの繰り返し。
つまり賢さとは、
「(より優秀な結果を出すのに適当な)論理的根拠のもと試行錯誤する頭脳」
であり、更に言うと
「非頭脳的なスタイルに辿り着くまでの過程に用いるもの」
でしかない、と結論付けます。
強調すべき点は、賢さ自体は探求するのではなく、何かを探求するために賢さを用いる、ということではないでしょうか。
逆にそれ以前の暗中模索期と決め打ち期での賢さはどう見ればよいでしょうか。
この期間の決定的な過ちは、「論理的根拠のなさ」にあります。これがない限り、低い位置で頭打ちになります。
それでもこのふたつで優劣を着けるなら、考えてる(っぽい)スタイルよりは、考えないほうがマシ、ということになります。
この事実を僕は下のように解釈しました。
論理的根拠がないのであれば、変に行動するより決まった行動のほうが人間は優秀に出来ている。
くだけた言い方にすれば、分かんねえなら決めて動け!ってことになります。
上の論理的根拠に基づいた試行錯誤とそこから生まれた型との関係図より、こちらのほうが実は寓話に富んでいるかもしれませんね。我ながら耳が痛いけど。
長々と書いてしまいましたが、note売れるという優秀な結果を出してない僕はまだまだ賢くありません、という事実のなんたるや。
[以上全文]
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