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死のリスクのないところに生はない その1

裸足になるだけで退屈で当たり前だった日常がエクストリームになります。

ためしに、いつもの駅までの通勤通学の道を裸足で歩いてみてほしい。

「足裏を切って破傷風になって死んでしまうかも!」

「足裏が死ぬほど痛い!」

「誰か知り合いに見られたら死ぬほど恥ずかしい!」

「何この足の開放感!死ぬほど気持ちいい!」

死と隣り合わせのエクストリームを感じ、

ドキドキしている、

いつもと違う自分を発見すると思います。


人間は死を予感している時に、

生を最も十全にまっとうする、

そういう生き物です。

そんなパラドックスな例はたくさんあります。

戦時中の話、

余命を告知された後の話、

大事故、天変地異の被災の話、

いずれも死と隣り合わせな日々に、

逆に、生の輝きがあるという逆説は、

わたしたちに皮肉で不思議な感慨を抱かせます。

東日本大震災10日後のツイートです。

以降、今日が最後の1日だと思いながら日々暮らしています。

あれから10年の時が流れて、

人々は確率はかなり低いけど

死ぬ「かも」しれないと右往左往して、

死ぬ確率を少しでも減らそうと躍起になって、

日々したいこと、するべきことを我慢して暮らす

世界に変わりました…


裸足になるだけで、命が輝き始めるという、

その気づきを得られたのは、

裸足で富士登山競走山頂コースを完走した時でした。

その時、そのエクストリーム感から、

私は人生で初めて、

ゾーン、フローという不思議な体験をしたのです。
(その2へ続く)


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