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前人未踏の地を行け

前人未踏の地を行け。
そんな願いを込めて長男の名前を「未地」と名付けた。

母はいつも私にこう言って聞かせた。
「他人と同じことをしていてはダメだ」と。
それがいつしか、私の人生の基本方針となっていた。

昔から知らない道を行くことが好きだった。
同じ定点間の移動だったとしても、いつもと同じ道ではなく、あえてこれまで通ったことがない道を選ぶたちだ。

そんな性癖が災いしたのだろう、いつも旅に憧れ恋焦がれてきた。
アジア、中東、アフリカの1年半の旅も、飛行機を使わず、国境を陸路で越えるスタイルにこだわった。

旅は道をたどる。
道はどのように出来上がったのか。
高速道路、国道、県道、市町村道、私道、林道、砂利道、遊歩道、登山道、けもの道。
最後はけもの道。

人類は太古の昔、動物が作った道を辿ったのだろう。
人類自ら、草薮を掻き分け、木を切り、土を踏みならして作ったとは考えにくい。
獣たちが作った道を人間もまた利用したのだろう。

山を裸足で歩くと、山道の整備の仕方に関してとても神経質になるようになる。
山道をシューズを履いて歩くのと、裸足で歩くのとでは体験の質が全く異なる。
裸足で感じ取る感覚の質、量はシューズのそれとは比較にならないほどを多様かつ豊かなものだ。
それらの感覚を全くないことのようにしてしまうシューズを履いた、感覚を失った人が頭で考え出した登山道を整備する。その登山道は、裸足にも獣にも酷悪だ。

野山に生息する獣の数は少なくなっている。登山道から外れることはあらゆる理由から困難であり、獣道を歩く機会は皆無と言っていい。

山地酪農の放牧地ではそれがある。現在進行形の活きたみずみずしい獣道が。
一見どんな酷い薮であっても、悪路であっても、牛の踏み跡があればそこは全く問題なく踏める。
この感動は筆舌に尽くしがたい。
そこを裸足で歩き走り、目を瞑ると、太古の昔の人類がどうやって移動してきたのかが、足裏を通してありありとわかる。

前人未踏の地を行きたかったのは父である私の方だったのかもしれない。

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