シアワセノアリカ

気づかれないように
人に尽くす
人をシアワセに導く
シアワセの方向を示す

そーいう生き方をしたい
そーいう生き方がステキ

って思ってた

気づかれずにうまく行ったことは多かった


気づかれないよーにしてたから
気づいてもらえてないけど

間違いなく
あのときワタシが動いてなきゃ
あの人はそこに居なかった
あの人は笑ってなかった

そう思えることがたくさんあった

あー、
そこでたくさんの仲間に出会えたね
そこで思いっきり自分を出せたね
自分のこと好きになれたね

そう思えることがたくさんあった


ワタシの周りに素直に笑える人が増えて、
それをシアワセだと感じる


そういう生き方が好きだった
そういう生き方をしたいと思ってた

悲しいのは


そうやって受け入れた人に
貶められること。


元々あった悪意が、
ひょんなことで顔を出して





別に、ワタシがあのときあーしたから、
あのとき声をかけたから、

そんなことを言って反論しようと思わない
それを訴えようとも思わない

それを言ったら、ワタシがマウントを取るだけ。
恩をきせるだけ。

その行為は、
ほしいシアワセが手に入らなくなるから。

ワタシが欲しいのは手柄じゃない。

ワタシの周りの、ワタシと関わるみんなが、
自分の意思で、お互いを尊重し、
相手を思いやり見守り助け合い、
信頼できる関係を築けたら
ステキだと思ってたから

ワタシもその中の1人でいられたら
ステキだと思ってたから


だからマウントを取ることは

逆効果だとわかってたから…




でも、
ワタシが評価されることが面白くない人はいて

元々悪意を軸に生きるクセがあった人には、
とにかく面白くなくて

ワタシを貶めることに躍起になる





別に、ワタシがあのとき声をかけたから
ワタシがあのときキッカケを作ったから

それを公表してほしいとも思わない。

でもやっぱり、
心のどこかでは気づいていてほしかった。



彼らは自分の意思でそこにいるから、
自分の意思で決めて行動してるから、
その成果はその人自身のもの

そこは自信持っていいし、誇っていい。

それは間違いない。


でもそれと比較して

ワタシがやってもいないこと、
つまり
ワタシが実際やったこととは逆の意味を持つ行為を
でっち上げて

ワタシの評価を落とし、
ワタシの信用を落とし、
孤立するよう立ち回り

それと同時に自分に同情が集まるように仕向けて、
共感者を集めて…


すべてをぶち壊す人





ワタシだけじゃなく

そのコミュニティ
その安全な場所
信頼できる仲間たち
楽しいひととき
シアワセな時間
ステキな生き方
優しい心

すべて 壊してしまう人




それが許せない。



やっと作り上げた環境
やっと手に入れた信頼関係や仲間

何度やっても
ぶち壊す人が出てくる。


後味の悪い失い方。


せっかくのいい思い出も

思い出すこともイヤなほど
不快な思い出に変わってしまう。



それが悲しすぎる




だから

辞めた。


だから

怖くなった。


だから





でも、やっぱりそういう生き方をしたいし
そういう環境で生きたいし
それがシアワセだと感じるし

ワタシに関わる人にも
ワタシの知らない人にも
世の中の人すべての人に

そういう生き方がステキだと
知ってほしいし

そういう仲間や環境がステキだと体感してほしいし

実感してほしいと思ってる



きっと
いま流行りのパーマカルチャー的な考え方に
通じてると思いながら
そんなコミュニティを注意深く見守ってる

ワタシももう一度、
そこから始めたらいいんだろうか…

ワタシの感覚は、蘇るだろうか…













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