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手作りのおせちとケーキで迎えてくれる兄。たぶん今は幸せ。

例年、兄の家にお年賀の挨拶に行く。
今年はちょうど兄の61歳の誕生日と重なった。
親や会社から解放された兄は穏やかで楽しそう。
この日、真っ先にかわいい姪っ子が出迎えてくれた。

待ってたわん♪


両親の仏壇にお参りする名目で、私のお目当ては兄の手作りお節の数々。
お雑煮、田作り、栗きんとん、お煮しめ、酢蓮、なます、など。私のお気に入りは鶏の松風焼き。
なんと鴨のローストも低温調理器と燻製チップを使っての自家製。

映えがいまひとつ。築地で買い込んだお節に自家製の鴨が埋もれてるww

極めつけは自分の誕生日に自分で焼いたガトーショコラ。
いかついジャムおじさん(伝わりにくい‥)今が一番幸せなんじゃないかと、妹目線で思う。

パパ〜お皿にのっければ映えるんだよ~

妻は歳の差9歳の会社の後輩。
兄39歳で富良野のラベンダー畑で結婚式を挙げた時は、友人達からいじり倒された。
義姉は順調に役職を上げているキャリアウーマン。頭の出来もいいが人間も出来ている。人の気持ちはわかるのに余計なことは言わない。こんなスマートな人が兄を引き受けてくれたことに妹としては感謝が尽きない。

兄は上司に誘われて共に転職したが、55歳で早期退職、主夫となった。頑張って取ったいろんな資格は役に立っているんだろうか。一応、FIRE的なことはしているから無駄にはなっていないんだろう。
こんな夫は好かんという人もいるだろうが、私はキャリアを積む妻を認めてサポート側に回る兄を「やるな、オヌシ!」と思っている。柔軟でリベラルでちょっと誇らしい。自尊心がないとこの決断は難しいんじゃないかと思う。
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(※このまま有益な情報もなく、オッサンの話が続きます。支配型の両親に苦労した人です。他人の家族に興味ないよという方は、他の記事へ行かれることをお勧めします。後から、読んで損したって怒られると困るので汗)

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兄はヨットに乗り、プラモデルを作る。そして家事をする。なかでも料理はお得意。外食は殆どしない。
もともと食べるのは好きだったが、凝り性が高じて結婚後は料理の腕をメキメキ上げた。築地に買い出しに行ったり、インド人経営の狭いスパイス専門店に出入りしたり、富澤商店に足繁く通ったり。ワインやスピリッツを集め、卵などの食材の取り寄せもする。
包丁、砥石、パスタの製麺機、燻製機、低音調理器、パン酵母発酵器、ワインセラー、なかなかなのである。
義姉の友達を自宅でもてなすこともあって、かなり好評らしく、私はいつも「レストラン開いたら〜」と言っている。

小さい頃の兄は、頭はいいが、からかわれるのが苦手で感情が時に爆発するタイプ。母は小学校の先生にまあまあ呼び出されていた。
中学時代は部屋にこもってプラモデルばかり作っていて部屋にシンナーが充満して怒られていた。浪人時代は自室にバリケードのような自作の防音壁を作っていた。あの頃はこっちが気をつかった・・・
けっこう個性の強い育てにくい子だったはずだ。中学から進学校に入って、少数精鋭(?)の友達に恵まれたが、親との折り合いは年々悪くなっていった。近年になって兄本人から「俺はアスペルガーだから。」と聞いた時は、グレーゾーンという分類に思い及んだ。父も私の息子も似ているところがあって、私なりに知識は少しずつ入れている。
兄は不思議と私には優しかった。たぶん気が合ったのだろう。定期テストの物理を泣きながら教えてもらったら、評定が5/5だったこともある。妹なりに尊敬していたし、不器用でピュアなところは憎めないのだ。

母はオシャレ大好きな楽しい人だったが、機嫌を表に出すのが良い事だと思っているフシがあった。私は無意識に母の機嫌を損ねないように顔色を読み、先回りして家事を手伝い、学校を休むこともなく、成績もそこそこに、友達とのトラブルもなく、女子校の中だけで青春を謳歌した。
愛情深いが単細胞な父、女王様気質の母、変わり者の兄の間を上手く立ち回って育った。(自分の家族好きですよ!全員。)
ありがたいことに私は実に健康体で、ついでに他人とのコミュニケーションにほぼ苦労を感じなかったから、上手いこと(たぶん無意識に)母の指令を逃れ、中高時代は夏休みも毎日のように朝から夕方まで学校にいたし、大学生になってからは自宅で夜ご飯を食べることは殆どなかった。そんな訳で我慢していた自覚はない。
あまり考えることもなく、母が大好きで(マザコン気味)だいぶ親孝行だった。(主観です。)ただ、アダルトチルドレンと言われる要素は持っているかもしれない。(我が子の不登校をきっかけに親子関係を考察しはじめて、見方が変わってきています。)

実家で暮らしていた頃は母の味方をして、手こずらせる兄に辟易していたが、今になってみれば兄と両親の折り合いが悪いのは両親に問題があると解る。
思春期男子が週末の銀座のデパートに着いてこない気持ちを理解してなかったし、名のある大学に入っても「東大に行かなかった」とぼやき、しっかりした就職先を「そんな会社は知らない」とけなした。タワーマンションを買ったら「あんなところは地震でやられる」と言っていた。結婚の時は大反対して興信所をつけて調べた。なんとか私と夫で取り持って結婚式には両親も出席したけれど、決定的な亀裂が入って息子の愛情を完全に失ってしまった。
長男に対する期待と、いつまでも自分より下に置いて支配したい気持ちが、強すぎたのだろう。愛情は感情だ。身を任せてはいけない。もっと理性を働かせれば変わっていたかもしれない。
我が子の愛情を失うのは辛すぎる。子どもにとっても傷は大きい。反面教師だが大事なことを教えてもらった。

両親が亡くなってから、兄は穏やかになった。
兄の家のリビングの片隅に小さな小さな仏壇が置いてある。お供えもしているようだ。今、両親ははずっと兄のそばにいられるのか、と思う。
結局のところ、兄は親に似て食べるのが大好きで、親が切望した学歴(学識と言い換えたい)を手に入れ、親の理想通りに暮らし向きの良い生活をしている。願ったり叶ったり?やっぱり親の影響?この勝負、どっちが勝者?・・・血は争えないっていうやつなのか。兄には言わないでおこう。


話を元に戻そう。
お節料理を前に、夫はピッチをあげて飲んでいる。娘はビション・フリーゼの従姉妹と遊ぶのに忙しい。「ダイエットしなくちゃ」と言っていたのにお正月は諦めたらしい。

パパ〜このお姉ちゃんとお散歩いきた~い♡


私はといえば高いワインを飲みながら、皿洗いすらしないのである。
そして、皆でハッピーバースデーを歌っただけで、兄本人の手作り誕生日用ガトーショコラにありついた。兄も真っ赤な顔してご機嫌だ。年下の義姉さんだけが、手際よく働いている。手を出すのも邪魔になりそうで、いつも甘えてしまう。

お土産には、兄が育てた自慢の天然酵母で作ったフランスパンと、自家製パウンドケーキをいただいて帰ってきた。さらに子ども達のお年玉もちゃっかり。

兄ちゃん、パン屋さんになれるってば。
ちょっと写真加工しすぎたか^ ^


兄の美味しいご飯を息子に食べさせてあげられなかったのが、唯一残念なところである。連絡がついたからパンぐらいは分けてやった。私の手作りお節とお餅を添えておいた。少しはお正月を感じてほしいな。

今年、我が家は明るいお正月を迎えられた。実にありがたい。たっぷりエネルギーチャージできたから、今年やりたいことを考えよう。
願わくば誰かのお役に立てますように。自分から半歩でも行動に移したい。何年越しの目標なんだろう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。なんか‥すみません💦

それから、よかったら・・・

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