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悲しい気持ちと手を繋ぐ

希死念慮のお話


こんなこと人に話すべきじゃないね。






健全な人は死にたいと思うことがないらしい。
みんな死にたいと思ったこと、一度はあると思っていたからびっくりした。

生きていくことはとても痛いことだなと思う。

頑張っても夢が叶う保証がないこと、他人の気持ちも自分の気持ちも変わること、年齢により身体が変化すること、それに準じて環境を変えたり対応していかなきゃいけないこと。
そしてそれを死ぬまで繰り返さなきゃいけないこと。

長く生きるということはその分いろいろな地獄を知るということだなと思う。

生まれてくるタイミングは決められないのに死ぬことのタイミングは勇気を持てば決められる。
理不尽さがすごい。

そのくせ自殺は地獄行きと言われている。
むしろ勇気を称えて天国に連れて行ってくれればいいのにね。よくわからない。

28歳にもなって希死念慮とかまだやってるの?ってかんじですが、はい。そうなんですよね。

ここ最近ずっと死にたくて、でも死ぬ勇気はなくて、みんなからはそんなこと考えてるようには見られないんだろうなって思う。
そう思っていてほしい。

最近のニュースとか不景気になっていくのとかみたら、死ぬ人間がいちばん勝ち組に見えてくる。
そのくらいちょっと世界がひどいよね。

そしてそれに対して何もできない自分も嫌になる。何かできるほどの力を持っているとは驕ってないけど、ただとても非力です。

病気で苦しんで死ぬのも嫌だし、自殺で苦しんで死ぬのも嫌だし、ヤダヤダずっと言ってる。
そんな感じであてもなく生きています。

わたしの願いはただ、平穏で苦しまず、ぬるま湯に浸かって生きていくこと。
でもそのクセ楽しい刺激はほしい。
本当に人生なめてて申し訳ない。

好きな仕事して、友達にも恋人にも恵まれていて充分すぎるほど幸せなのに、ずっとずっと小さい頃から気づくと死ぬことが頭をよぎる。

たぶん先のことを考えちゃうから苦しくなる。
仕事続けられなくなったらどうしようとか健康じゃなくなったらどうしようとか恋人や友人家族を失ったらどうしようとか。
年をとるたびにその確率は必ず上がっていくので、考えても仕方ないのはわかるんだけどこの不安を持ち続けながら毎日を繰り返すのが急にとてつもなく怖くなったりする。

今すごく無神経で人を傷つけることを書いているんだろうな。ごめんなさい。

でも、少し先にある小さな楽しみな予定を考えたりわたしがいなくなった時に好きな人達が悲しむ顔を想像したら胸が苦しくなるし、だからきっと生きていられるんだろうと思う。

愛してると生きていてほしいは同義語だなぁと思う。だからたくさん言ってほしい。

写真もたくさんとってほしい。
データもらうまでの楽しみができるし。

解決策なんてなくて、だから一緒に生きてくしかないね。頑張れる時まで頑張りたいな。

気分屋だから明日からめちゃくちゃ明るい気持ちになってるかもしれないし。

とりあえず思ったことを書いて気持ちを整理して毎日に戻ります。

今はもう少し、悲しい気持ちと手を繋ぐ。




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