ハードコアパンクみたいな鬱時代を経て。
「過去によって現在(いま)はつくられているのではなく、未来によって現在(いま)はつくられている。」と言う吉本ばななさんの言葉がずっと胸にある。
たしか、マチネの終わりに(平野啓一郎さんの小説)でも、映画化された中にも、こんなセリフがあったと思う。
過去によってではなく、未来によって現在は変わると。
たとえば子供が17:00からはじまるアニメを見るために宿題を済ますとか、好きな人に会う為に可愛い服を買うとか。
過去ではなくて未来によって人は変わる。
過去のせいにする時間を少し変える。
すごく前向きになれる言葉のような気がするから。
*
なるべく本音で書きたい日、ちょっと笑える感じで書きたい日。いろんな日がある。
分刻みに心が変わってしまうから、エッセイみたいなのって、真面目に考えると難しい。
わたしみたいな気分屋にしたらね。
危うくキャパオーバーになりかけだった今週。何もかも忙しくて作業もできず寝てしまったりしていた。
しかし、平日の三日間、夜に気の知れたメンバーとの会食などで、夜の仕事(ホステス)を休んだら、あれよあれよと心に余裕がでてきた。
やっぱり、好きじゃない人と話す労力ってのは半端じゃ無いものがあるのね。
実はいつだってほんの些細な積み重ねで、人は「あかん」くなってしまうの。
無理をしないようにしようよ、なるべく。ちいさく。
33歳のわたしは「自分の身の丈」みたいなもんと、過去の「鬱」の時代から、キャパオーバーとなるレベルをかなり落として生きているために、頑張ることが怖いと言う事態に陥るときがある。しかしこれは良い逃げだと思う。
ちなみに私は鬱の時代、朝一でストロングゼロを飲んでいたし、夜は睡眠薬をウイスキーのロックで流し込んでいた。もちろん夜はそれでラリってるし。
忘れたい記憶だけど、忘れちゃいけないと思う記憶でもある。
どこのハードコアパンクの代表なんだ?と言う話だが、一歩間違えていたら死んでいたと思うし、冗談ではなく早く楽になりたいとすら思っていたのだ。
そんな状態が2ヶ月近く続いた夜の隙に、赤ワインのボトルを飲もうとコルクを開けた時、そのままその栓抜きの刃で楽になろうかな、なんてふと思ったりもした。幸い、まだ酔い切れてなかったから、ただ床にしゃがみ込んで泣いて終われた日もあった。(今は思っていないので言えるよ、重い話ですまん)
絶対に真似しないでほしい。(誰もしないと思うけど 笑)
今思い出したけど、その頃謎にギターも買ったわ。リアル、ハードコアパンクやん。
しかし過ぎてみると、今回問わずきっと全てが必要な時間だったんだと思うし、そうであってほしいし、そうしていく生き方を選び続ける。
しんでしまう人もいるけど、わたしはそれが逃げだとは絶対に思わない。
最近、絵の相方と、有名人の自殺のニュースを見て、めちゃくらったよ、寝れなかったよなって話をした。
わたしは「やっぱり一人ってこわいね。一人はつらいね。こんなときに誰かがいて話せるだけでもいいもんね。」と言ったら
彼女が「でも、家族がいても、恋人がいても、しぬんだよ。」と言った。
ほんとうの一人ってのは、心の意味だ。
形ではなく。
形で人と話すのではなく、心を伝える場所がなくなっていく本当の孤独に、人はどこまで耐えられるんだろうか。
死んでしまった彼の自筆本に、彼が大切にしている5箇条が載っている。(最近、読み返したよ。)
戦わない。諦める。割り切る。逃げる。
そして「期待しない。」
この言葉たちは一見、ものすごく誰かを救うパワーワード達で、大切なことで、わたしも意識しているからこそ改めて思ったことがあるよ。
「期待しない。」生き方は果たして幸せなんだろうか。幸せだったんだろうか。と。
恋とか愛とか仕事とか、本当は誰だって誰かに期待したい、希望が誰かによって手に入るラッキーを望むことはおかしいことなんだろうか。
彼は、わたしは、そしてどこかの誰かも
少しでも傷つかない生き方を手にするしかなかったのだろうなと思う。
そんなことを考えた一日だった。
わたしは生きていくし、少しだけ誰かに期待してみようと思ったよ。
今日もがんばったね、
ありがとう。
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