見出し画像

ひとりぼっちでも良いじゃない。

有名なものより、有名な人より、自分が天才だと思えるものや、人がいい。
良いと思ったものが、良い。そこに付加価値はない。
後付けの価値は、私の中ではなんの価値もない。
自分が一番最初に見たものが全てで、むしろそこにしか本質や本当のものはない。

わたしの中で天才な人って言うのは単純に
「続ける」「見つける」「楽しませる」「楽しむ」を持っている人。

そして「人の痛みを素直に受け止められる人」

カッコ悪いことが本当は一番カッコいいことだと知っている人。だ。

自分のことを宇宙人だと思ってみる。

「なぜ分かり合えないんだろう?」「なぜ分からないんだろう?」「なぜ?」
そんなことを年々減らしたい。

相手のせいとかもいらない。めんどくさい。
多くある正しいとか正しくないとか、暇と悪がが生み出す出す最悪の連鎖だ。

「なぜ?」は自分が成長するためには必要だけど、悩み事を増やすだけになることもある。

自分自身は、誰かの気持ちを考えようと努力して、気持ちを汲みすぎる。
とても大切なことだけど、同じ気持ちを持った人じゃないと全てが無駄になることが多い。

距離感。わたしはこれが取れない人と長時間一緒にいる、関わっていると、精神的にバランスを崩す。
なんとか無理をしてでも、人は「愛せば変わる」「話せば分かる」なんて理想主義で思っている部分があるからだ。

でもそんなことは無理で、人は簡単には変わらないし、自分だって変わることができない。

わたしはリアリストな人と話が合わない。テレビもSNSも大嫌いだし、芸能人のニュースも、自分が出ていた番組のリアルもどうでもいい。
「夢を見る」「夢を見させる」「本質を見る」を徹底した人以外に全く興味がない。
こうはっきり言い切ってしまえばいいし、自分は自分なんだ。

多くの人がリアルなものに心を左右されて病んでいるけど、結局それは「自分から求めてしいる」クセみたいなものがついている。
テレビをつけるのがクセな人も、ネットを見るのがクセな人も、なんでも「思い通り」がクセづいて、努力をしなくなって、人の気持ちも、自分の気持ちすら考える時間もなくなっている。

良質なものを自ら求めない限り、良質なものは見つけることができないのが、もうこの世界の当たり前になった。

「相手が自分をどう見ているのか」それさえなんとなく分かれば距離感が掴める。
もうこれ以上はやめておこうとか、もう少し話してみようとか。

「相手が自分に敬意を持っているか、いないのか」それで距離感は全て決まる。

私は自分に敬意を払ってくれない人とは付き合いたくない。
それは友人関係でも。
「明日仕事だから」この一言でも、本当に敬意を持ってくれている人と、本当は見下している相手への態度では違ってくる。

恋人でもそう。
「彼氏」「彼女」である前に「人と人」。
「もの」ではない。
「自分のもの」であると思い込む。自分より下に置くと安心する。
こんな関係は、どちらかの思いやりか我慢の上でしか成り立っていない。
恋をするのは大切で、時に優先順位を持つのも大切だけど、必ず「人」として敬意を持っていた方がいいと思う。

みんな目に見えない自分の大切な時間を削っているんだ。

自分が小馬鹿にされる立場が多くある。
いろんなことを言われやすい、そして願ってもいないし、聞いてもいないアドバイスを受けやすい人もいる。
わたしもそうだ。
でもなんか、言われっぱなしで良いなぁ、それで良いなぁ。と年々思うようになってきた。

突っ込まれやすい仕事をしているし、自分でも「こんなことしたくないのにな」と思いながらサービス精神でついつい大袈裟にしてしまうから。

昔はそれでいちいち落ち込んだり、無駄なプライドが傷ついたり、「違うよ」と言いたくてたまらなかったり、「汚いな」とか変に思ったりしたけど

突っ込むだけの人間より、突っ込まれやすい人間である方が、良い。

馬鹿にされても構わないし、極論ひとりぼっちでも構わないと思っていつも生きている。

むしろ、ひとりで誰にも迷惑をかけないことが楽だ。生きているだけでもう十分に迷惑をかけているんだから、変な人間関係の中で疲労して、結果争うくらいなら、自分の描く綺麗なロマンスや世界で生きていたい。
理想論でもなんでもなく、わたしは誰かにとって「不幸な存在」にならない・つくらないことが、今いちばん幸せなことだとはっきり言える。そして結果的に「人に迷惑をかけないため」にも。今、自分を崩すわけにはいかない。

「相手からどう見られているか」それがなんとなくでも分からないとしたら
自分が相手をちゃんとみる努力をしてこなかったのかもしれない。

ひとりぼっちでもいい。
その上で、分かり合える人がもしひとりでもいたとしたら、それはもう最高の幸せだ。

強がりと本音の真ん中の海で綺麗に自然と泳ぎながら、たまに小さくて強く光るものを手にするように。

今日もがんばったね。
ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?