見出し画像

はじめまして。くらたまみです。
このノートに、まず最初に。
ふと気づけたしあわせについて書きます。

音楽みたいに、まとまりもなくて、ありのままに、自分の夢や、愛、しあわせについて、なんとなく書いてみます。
のんびりと、やんわりと。

何をいっても、何を伝えたくても、届くときがあったり、何をいっても、何を伝えたくても、届かないときがあったり。思うようにいかないのが、人生だけど、言葉にできるならしてみてもいいのかなって思いながら。

わたしが小さい頃の夢。

温かい家族、それは、大好きな人と暮らす可愛いお嫁さんになること。
それだけが夢だった。

初めて付き合った人と結婚したい、そんな風に思っていたし、将来の夢にも、そう書いていた。いつからかそれは変わり続けて、イラストレーターになりたいとか、OLでバリバリ働くとか、ただなんとなく生きるとか。
なんの夢もなくなった時代も。

-・・・

昨夜、というか早朝。
また男の人に追いかけ回される悪夢を見た。

たすけてたすけてと叫んで起きた。
喉がカラカラで起きて、あまりに怖くて、起き上がって何かを食べたり、温かいミルクティーを飲んだ。

そのとき、ふと
本来の自分の夢に気づいたのだった。

私は、ほしいものなんてない。
もう「手にしてるんだ」ってこと。

変わらないものの尊さを、私は知っている。
その上で、変わっていくことの大切さも、私は覚えたんだ。

今、29歳。今年、30歳。
27歳まで、寂しさでできているかのような人生だったと思う日もあれば、その分たくさんの喜びに気づけた27年間でもあったと思う。

そんな27歳の頃、テレビに出た。
側から見たら大きく人生が変わったように見えるかもしれないけど、私の中では何も変わっていない。
もちろん、外面は大きく変わっていったし、幸せや、自分の価値なんて、本当はないのに、そんなことだけが変わっていったようにも思っていたが、変わったのは、それだけではなくて。
気づけば、夜はお薬なしには、ほとんど眠れなくなっていった。
それは、テレビだけではなく、結局、わたしのこれまでの生活の全てが、ここで一気にきただけの話なんだけど。

それでも、そのプラスの影響はおおきくて、自分では何が変わったのかあまりよくわからないまま、それでも「何か変わらなくちゃいけない」と焦る自分がずっといて。
もちろん、焦る反面、大切なことも沢山学んだ。

眠れなくなってから、悪夢を立て続けに見る日が増えた。昔から不眠症であったし、よく悪夢を見たけど、ここまでひどくなったことはなかったように思う。

毎日のように、男の人にいやなことをされる夢と、水の夢を見た。
夢占いをすると、誰にも言えない秘密がある。という答えになった。

その通りで、私には個人的に誰にも言えない秘密がある。
それは何度もくりかえされ、頭に焼き付いている。

学んだこと以上に、知りたくないものでもあることもある。
それは自分のキャパを超えて、受け止められないものへと変わっていったように思う。

それが今日の朝、そんな夢を見続けて、張り詰めた糸が切れたような感覚になったとき、温かいミルクティーが言ってくれた。

「普通でいい。がんばらなくてもいい。」

ふとそう思った。

というかわたしは
もうこれ以上、何も求めてないんだなって。
もう充分すぎるくらいに、しあわせなんだと。

出会えた人達。全員の顔を思ったとき。
これまで、「だからがんばらなくちゃ」そう思ってばかりいた。

自分や誰かをしあわせにしなきゃと
気づけばそれを過剰に意識していた。

じゃなくて、わたしは
「もうしあわせなんだ」ということ。
痛い思いをたくさんして、喜びも知って、やっとそこに気づいた。

そして、みんなはそれを望んでいて
わたしもそれを望んでいるような気がして
ふとしあわせな気持ちになっていった。
本当うまくいえないんだけど。

眠れない夜に、
嫌われない勇気とか
自分に向けたかのような優しい言葉のある本
仕事をがんばれと言う本
がんばらなくても良いと言う本
なんだかもうよくわからない哲学の本とかをしぬほど読んでいた。
そのおかげで今があるし、本当に本には救われてきたけど、そこに私自身の答えはなかったのかもしれない。

本には、つらいときの答えが必ずある。
「本当のこと」だから「本」と言うのだと思うくらい。
木はうそをつかないし、そこから本は生まれている。と心から思う。

それでも、
わたしは一体誰に嫌われたくないのか
誰に愛されたいのか
わからないままだった気がする。

誰かを救いたいとか、それは本当に思っていて。
でも、私は、それが多ければ満足とか
誰でもかんでもみたいな、全員にとかは思ってないんだってやっと気づいた。

小さい頃の夢にもどる。
わたしは、温かい家族、それは、大好きな人と暮らす可愛いお嫁さんになること。
それだけが夢だった。

絵を描くときもそうだった。
夢のような、こうなればいいのに、そんな絵ばかり描いていた。
今もそれは変わっていなくて、
世界や、わたしが、本当はこうあればいいのに、ということを描き続けている。
絵の中では、わたしは歳を取らない。
本当はきれいでありたい。絵の中では唯一、きれいな自分でいれる。
いつだってあの頃に戻れる気がした。
言葉の中では歳は取るけど、むしろ言葉の場合は歳を取れば取るほど磨かれて素敵になると思う。

婚活番組にでて、そのあともいろんな恋をした。
すべて後悔していない。
むしろ出逢えて良かった、感謝している人達しかいない。
忘れられない人や、思い出もできた。

周りにはみんながいて、人が増えて、減って、増えて。
それでも周りの登場人物が増えれば増えるほどに、また一人で。孤独で。

一貫して、不安で、しあわせなはずなのに、
しあわせになりたいと思っていた。

誰かに恩を返せばしあわせになれると
勘違いもたくさんしてきたようにも思う。

いつも誰かの顔色を伺って生きてきた。
それは今も、多分この先も変わらないと思う。
でも今、そんなことを一生続けるのか、と思う自分がいる。
一生つづけられることってなんだろう。

それは、絶対にできることにする勇気と愛があることだけだ。

それは、自分をすり減らしてまですることなのか、相手のためになるのか、ってことだ。

そう思うと、私のキャパは今とても幸せを運べる手がない。
わたしは、一人一人がちゃんと見える距離で、ちゃんと大切にできる手がないと、動けなくなる人なんだった。

今、大切な人がいる。
普通の人だ。
彼を、相方と呼ぶ。

特に書くことはないし、書かれたくもないような人だ。なのでここは重要じゃない。

大切なのは、わたしの気持ちだ。
それがどんな人に対しても、相方じゃなくても。
一緒に生きていく覚悟を持つというのはそういうことだろうと思う。

わたしは思う。
こんなエネルギーのない私が、もう一度エネルギーを貯めながら、がんばれることを。
感謝できることを。

むかつくとかつらいとかしんどいとか
そんなのは当たり前で、それ以上にわたしは、みんなや相方の存在そのものに感謝している。

それから、やっと、思う。

相方にとって、いつも、相方が目指すものの背中を押せればいいんだと。
わたしはそれがいちばんの幸せで。

そしてそれは、私のためでもなく、
私のためにがんばってとかではなく。
相方がその夢をあきらめても、また違う夢を持ったときも
同じように思うのだろうと。

今やっとそう思えるし、相手にも言える自信はないけど。たとえそれが変わっても、
変わらない努力をわたしはまたすると思う。

しあわせということに、やっと気づいたから。

本当に本当に見失っていたように思う
こんな気持ちに。

私は、夢を持つ。自分の為に。
勇気を持つ。みんなの為に。
愛を持つ。あなたの為に。

それが答え。

単純に、答える。

私は本を作り続ける人になって、いつか、派手な活動もなくなり、見ている人にだけ届くやり方で活動して、お嫁さんになり温かい家族と暮らして。
それがどこでもいい。関西でも、東京でも、海外でも、寒い場所でも暑い場所でも。
大切な人達と過ごせれば、どこでもいい。

何より相方のがんばりも見続けたいし、わたしもそれなりにやるからねって思いたい。

SNSも好きな人は好きなときに、といえばいいのか。のちに、やめてもいいと思う。
それはみんなを捨てるという意味ではなく、みんなや、大切なものとだけ繋がり続けるという意味。

わたしはそうやって生きていきたい。
いきなりは無理だけど、
少しずつ、私は静かなる覚悟を秘めて、生活できる知恵をちゃんとつけて、賑やかさなんて、これ以上のしあわせも求めない場所で、戦う人生でありたい。

みんな、それぞれに戦っている。
平和な暮らしなんてのはないけど、
その上でしあわせに生きたい。

わたしには、本と大切な人がいることが
これ以上ないしあわせだ。

その上にみんながいて、忘れられない過去や
素敵な思い出がある。

これ以上何も望むことがない。

今、おばあちゃんになる自分が見える。
もしかしたら明日しんでしまうかもしれないのが人生だけど、

それも含めて

わたしは最高にしあわせだったと言いたい。

最高にしあわせで、ありがとうと言える。

そんな人で、そんな人生でありたい。

今日の気持ちが、変わることはないだろうと思う。
変わるのは目の前の景色だけで、わたしはまたここに戻る為に努力するし、
本を書き絵を描き、いつも、愛する人達と暮らすだろうと思う。

2020.2.4

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?