自分の言葉に責任を持つということ。
決断の早い人がいい。
これは仕事とかそんな大きなことじゃなくて。
たとえば好きな人と旅行に行くと決めた瞬間にチケットをすぐ予約する!みたいな。
とにかくレスポンスが早い人のこと。なにかしらの精神的な経験が多く、ホスピタリティが高い人にできる人が多いように思う。
「あとまわしにしない」ということなのか。
結局「あとまわしにしたことほど面倒くさくなる」と言うことを分かっている人だろうと。
ある程度の「善悪」がちゃんとした上で決断の早い人がいいし、ここは一番人の信用につながると思う。
間違ってるとか、正しいとかは、結局どんなに考えてもわからないし、考えよりも行動によって、間違えたり正しくなっていったりするから
長く決断しないのは、間違えるよりも、迷惑を増やすこともある。
決めて明日からでもできる人は、経験もある人に違いないけど、どこかでそのスタンスに持ち直した人であると思う。
言葉に責任を持っている人のように思う。
*
私は昔「言葉に責任もってよ」と仲の良い友人に言われたことがあって、それが忘れられない。
二十歳前後の頃。とても張り詰めていて、無責任さがすごかった時期があった。
17歳で家を出て(勝手に)貯金カツカツで生きて、バイトして、女としての魂や身体をすり減らしてお金を稼いで生きてた自分が最高にエライ!!なんて思って惨めに強く生きていた。良い人と付き合ってるわけでもなくて、家族にも後ろめたくて、それだけが自尊心を保つ方法、プライドだったのだ。
17歳まで無条件にお金を出してくれたのは家族だ。なのに、生まれてきたことにすらとくに感謝していなかったし、むしろものすごく辛かったから、生まれたくもなかったのに、勝手に産んだんだろ。って本気でひねくれていた。(すみません
みーーーんな同じで、みんながんばってるのに、この頃は本当にかわいそうで孤独で浅はかな「考え方」しかなかった。
短大に推薦入学した私は、18歳になると就活にお金がかかるから、ラストスパートばかりにバイトもバリバリしていて、人との約束を断り、破ってはバイトに行った。どうでも良い人であっても、ちゃんと断るべきだったのに、とりあえずは好かれといたほうがいいか、、と思ってその場返事をしていた。「いきまーす!」みたいな。いきたくもないのに。
そんな中で、仲良しの友人との約束をドタキャンしたことがあった。
無意識に、その友人に対してもう2回目のドタキャンだった。
理由も同じ「ごめん、バイト入ってさ、断れないねん。ごめんねー」こんなメールをしたと思う。当日だと言うのに、電話ではなく、あげくのメールで。
友人はフワフワしていて、犬も飼ってて、実家暮らしでお金にも困ってなくて、いつも家族にもらったブランドの鞄もってるお嬢の子。
こんな紹介文が浮かんでいた。
その友人を見下していた証拠だろうと思う。
「友人はかわいくてやさしくて、心が綺麗で、待ち合わせに絶対遅刻しないしっかりものの女の子。」
普通と言うか、本来はこんな風に人の中身の紹介するのが対等な証拠だと思う。
「自分より楽して生きてるから。」これで上下をつけていた馬鹿な時代がある。なんて馬鹿な考えだろうと思う。本当のことなんてわからないのに。自分の必死さを友人に言いくるめることしか考えていなかった。
その友人は普段、やさしくて、人一倍ふわふわしていた。
そんな友人にドタキャンが続いたとき言われた言葉が「茉美はさ。言葉に責任を持ってよ。」だった。
やさしい友人に言われたこの一言は、果てしなく重くて、ものすごく心に響いた。自分が恥ずかしく哀れになった。
私が見下していたのにも、気付いていたのだろう。と言うか、自分が見下していることに気付いて更に落ちた。
「誘ってくるから、遊んであげてる」とでもどこかで思ってたんだろうか、と思う。過去の自分を殴りコロ○てやりたくなるが、今も大概だ。今代わりに殴っておこう。
相手のため、相手のためにしてあげてる。
なんて思ってる時点で自己中だった。
私は自分の考えがすべてで、そんなことばかり考えていたように思う。
相手のため、なんてほとんど自分のためでしかない。
「あなたを思って言ってます」この言葉を思うのは、ほとんど相手のためではない。
自分が気持ちよく生きたいだけだった。
「自分がしたいからする。」
これこそが相手のためになることだと気づかない人間だった。
そこから、その友人からも誘われなくなり、私も誘えなくなった。
何ヶ月も遊ばなくなった。
タイミングと言うのは確実にある、ドタキャンにも事情がある、善意やウソがなければ、そんなことは問題じゃない。
私は自分の「悪意のある行いや、自己中な事情」によって、私を大切にしてくれた友人に呆れられ、無くしたのだった。
その経験があって自分のひどさをさらに知った。
できない約束はしないでおこう、言ったことは必ず守ろう。なるべくではなく、まず徹底して。を心がけるようになった。
今も一週間後くらいの約束しかしない。
「来週にならないとわからないからごめんね。」とかは逃げの意味ではなく、本当のことを言う。
言葉に責任を持たないといけないように思う。どんな仕事もそうだけど。
そして状況によって、ちゃんと決断を早く。
迷ってる時間も相手の時間をもらってるときがある。
決断は相手の信用を裏切らないようにするのにも大きく影響しているように思う。
レスポンスが早いとか、言ったことを守る、その場しのぎにしない、無理な時は、すぐ無理だと言う。
あとでとか、またとか、できたらする!とか
これは大人になれば通用しない。逆によっぽど自信がないとできないような判断な気がする。
自信がないから、決めたことをすぐやる、やってみる。に繋がったほうがいい。
一つでも、あとでやっておけばよかったなんて思わないように。
「一事が万事」
この言葉は「今できないことはずっとできない」と言う解釈もできる。
一つのことは大きなことに繋がるということ。
決断は早く。と言うのは、この「一時」の意味で、タイミングを逃せば、タイミング以外のものも逃すことになってしまうということみたい。
人間はいつも「今」しかないから。
「あとで」は自分のやることが決まっている人だけの言葉。
私は、自分が失敗して、傷つけたことこそ忘れられない。
忘れられない言葉を今日も糧にしている。
今日もがんばったね。
ありがとう。
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