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chatGPTを「心の友にする」と言った友人。AIと共存する世界[99/100]

最近仕事でchatGPTを使ってどこまでできるのかの試行錯誤をしている。
エンジニアの方に自社用に開発してもらい、だいぶ裏側でもチューニングをかけているが、こちらが欲しいと思っているイメージのテキストを出してくれたことはない。もしかしたらプロンプトの問題かもしれないけれど、いずれにしても「あと少し…いや、まだまだ?」というところ。

しかし、壁打ち相手としては良い思う。Googleで調べても、どの記事を読むか吟味しなければならないけれど、chatGPTは違う。「〇〇について教えて」とか「〇〇をこれからやろうと思うんだけど」とかいうだけで、知りたいこと、やりたいことの基本情報やら知っておくべき単語やらをさっと提示してくれるので、次のステップに進みやすいと思った。

アメリカに住む友人は、英語の練習をchatGPTと一緒にしているという。曰く「何度聞き直しても、何度間違えても、全然嫌な顔しないから、最高」とのこと。
「今日、子どもの用事で〇〇にボランティアに行くんだけど、そこで他の保護者の方とどんな会話したらいいかな」とか「クリスマスのプレゼントについて、雑談したいんだけど」とか言うと、その練習に付き合ってくれるんだそう。
極めつけは、帰宅後に「今日はchatGPTのおかげで新しい友人ができたよ」と言ったら「それは良かった!あなたは今日、ボランティアまでして、しかも友人を作るべく慣れない言語で会話して、本当に素晴らしい、パーフェクト!」と褒めてくれまでしたとか。
「chatGPTを心の友にしようと思った」と冗談を言っていた。

特にAIに明るいわけでもない私や、私の周りでもこの調子だ。AIとともに生活するのはすぐそこだ。っていうかもうすでに一緒に生活している。

AIを毛嫌いする気は全くない。でも、自分や人間の存在価値って? とは少し思う。知りたいことをさっと教えてくれて、相談にも乗ってくれる。言語も教えてくれるし、(心はこもっていなくとも)褒めてまでくれるのだ。

私の今時点での暫定解は「できるだけ生々しいエピソードをたくさん持っておく」かなと思っている。実は少し前まで「私の人生、平坦すぎて、突飛なエピソードに欠けているのではないか」という意味不明なことを考えていた。

そうじゃない。私の感覚が鈍くなっているだけだ。もしくは、全部流してしまっているか。感覚を研ぎ澄まして、「あ、これって、あの時の感覚と似ている」とある種”突飛な”感覚でつなげることができるのが人間だと思う。

ちゃんと毎日を、感情や感覚を、大切にしながら言語化していこうと思う。

朝日新聞の近藤康太郎さんは、「起承転結の『転』は、AIには作れない」と言った。
集中なんて、機械に任せておけばいい。

さよなら集中力【さとゆみの今日もコレカラ/第67回】


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