全次元は『空/ノンデュアリティ』(その2)
さて、前回は
1次元〜12次元までは、
ストーリー(記憶・感情・思考の産物)であり、
それら全てを超越したものを私は
『空/ノンデュアリティ』と定義します。
としましたが、
空/ノンデュアリティ
をもう少し咀嚼してみようと思います。
これは一心三観でいう所の
『空観(くうがん)』のことですね。
これはワンネス、をも超越しているので、
愛や感謝、至福というfeeling表現
さえも不可能な世界になります。
どこまでも澄みわたった、
クリアで、何も無い光世界です。
(世界というと空間を想像しちゃうのですが、ありません)
無
easyに言語化するなら、
『実在、無限、始めなき終わりなき』で、
ビックバンのような
宇宙の始まりは存在しないのです。
あれを証明できるのは、
『1-4次元/時間』の科学と人間の自我が
"点、部分"で見たときの認識のみ、です。
始まりがないのであれば、
この宇宙には終わりもありません。
どこまでも永遠があるだけです。
なので、私たち一人一人の命も、
全体からすると
始まりも終わりもありません。
したがって、
生またことは無いし、
死ぬこともありえ無いのです。
肉体という器が、生死を認識させ、
人には一生がある、
と定義づけているだけ、なのでした♪
本当の私たちは
生きながらにしてすでに何度も
『変化変容、輪廻』をしているのに、
それを無理やり、
一度の人生とした
個人名義・役職・役割・使命
という枠に収めるのは・・・
時に窮屈なことなのです。
柔軟であってこそ、
生き生きするのですね。
あなたは何者でも無いのですが、
何者かである時があるだけなの。
意識した時にそのキャラクターになる、
みたいな感じ。
誰一人例外なく"愛"であり、
空/ノンデュアリティから出た
『表現体』です。
とはいえ『成長(子供〜大人〜老人)』
して見えるのだから
摩訶不思議なミラクルですね〜♪
人に素晴らしい歴史あり、
ストーリーあり。
人間だもの。
これが仮観(けがん)ですね。
でも仮観だけですと
現実の枠組みにハマり、
どっぷり苦しい訳も、
なんとなくわかって
いただけたかな〜と思います。
自由に好きな世界を知覚し、
生きることが可能ですから、
私はリアルで2〜3次元ホログラム
を映写することはあまりしません。
自分の見たい世界は、
自己責任、意識次第で選択して良い、
ということですね。
いうなら、これが
中観(ちゅうがん)ですね。
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こうしたお話に興味があれば
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書いています^^
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