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No.16 📓介護認定調査📓               ~母と私の気持ち~

 退院して5日後の10月上旬過ぎ、介護認定調査員さんとケアマネージャーさんの訪問が同じ日に重なりました。

 介護認定調査員さんは、私が若年性DLBと診断されて最初に役所で相談した方でした。「あれから気になっていたのに電話もできなくてごめんなさいね」と私のことを覚えていてくれました。介護認定調査では、生活していくうえで、できることや出来ないこと、介助してもらっていること、実際の手足の動きなどを確認されました。調査が済んだあとは温かい言葉を添えてくれました。

 「1ヵ月後には介護認定がおりると思います。まだ制度としては出来てい
  るようで出来ていない部分が多いけれど、mamiさんのことサポートで
  きるように頑張るので、何でも言ってくださいね。」

 ケアマネージャーさんは私の話をメモを取りながら一生懸命に聞いてくださいました。リハビリを中心に話が進み、通所リハビリテーションを3ヵ所見学することになりました。1つ目はクリニック、2つ目は病院、3つ目は一日中お世話になれる介護老人保健施設(デイ・ケア)です。それぞれ見学日を決めて、見学させてもらうことになりました。

 その日の夜はさすがに疲労感が強く、とうとう2度のミオクローヌス発作を起こしました。嘔気や幻視(知らない子どもが犬を連れてきた)もあり、家族皆で寝不足状態でした。

 この状態は10月中旬になっても続いていました。夜、眠ることが怖くてたまりません。呼吸苦・嘔気・意識がなくなりそうな感じがして、数秒~数十秒の痙攣(パーキンソニズムなのか区別できず)もあり、現実なのか夢なのか、あるいは幻視なのか区別ができないこともありました。

 夜に突然、亡くなっている叔母に会いに行くからと出かける準備をしようとしたり、朝と夜の区別ができなくなったりと、家族も大変な時期だったと思います。母はとにかく私が眠るまで、髪に触れ、手を撫で、脚をさすり、片時も離れずに見護り付き添っていました。

 そんな時、通所リハはデイケアにしようと決めたのだと思います。これ以上、母の負担になりたくない、私のせいで母が倒れてしまう、と胸が苦しくなるのです。私の心は母の手のぬくもりに癒されながら、母の思いを断ち切るためにもがいていました。

 私のことを他人に任せられない、私がいない方が心配だと母は言ってくれます。でも私も同じ気持ちを、母に持っていたのです。
 私のことを隠して、誰にも助けを求めず、一人で抱え込んでいる母こそが私は心配なのです。
 
 私の病気は、そこまでして隠すべき恥ずべきものなのでしょうか。認知症だから助けてほしいと言うことはおかしいのでしょうか。受け入れられないことなのでしょうか。私はもっとオープンにしてもらって構いません。何かあったときに助けてほしいと言い合える関係を家族以外にもっと作りたいです。母の愚痴や相談も誰かに聞いてほしい。たまには息抜きや気分転換で、母にも外出してリフレッシュしてほしい。

 一番そばで母を見ている私は申し訳ない気持ちと何とかしたい気持ちで、私は認知症コーディネーターさんへメールをしました。
 こう返事がかえってきました。

 「お母様の献身的な対応は、本当に頭が下がる思いです。一方で、ひとり
  で抱え込んでおられるお母様に対して、mamiさんが申し訳なく思う気
  持ちや心配に思う気持ちもよくわかります。
  
   親はいくつになっても子どものためになるのであれば、できるだけの 
  ことをしたいと考えるものだと思います。お母様もご自身の楽しみを求
  めるよりも、今は病気に立ち向かっているmamiさんの力になりたいと
  お考えなのではないでしょうか。

   とは言え、お母様自身がさらに孤立感を深め、また体調を崩される
  ような事態は避けねばなりません。お母様自身がご自身の思いを率直に
  話せるとしたら、どなたになるのでしょうか。ご兄弟やご親戚に限らず 
  支援者でもよいので、お母様のお話をうかがう機会を作れればと思いま
  す。」

 私はこのメールを読んで、自分の気持ちばかりを優先して、母の気持ちを思い遣ることができなかったと、寄り添ってあげられていなかったのだということに初めて気が付かされました。

 親子って難しい。。。

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