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感謝から考えること


こんにちは、まめたろうです。
note 初投稿で、かなりドキドキしています 。昔からずっと文章を書くのが苦手で避け続けてきましたが、アウトプットの重要性を痛感する今、こそっと始めてみようと思います。

今回のテーマは感謝です。私は現在、「はろこみ」というワーママはるさんをハブとしたワーママ・ワーパパのコミュニティに参加しています。そこで手帳プロジェクトが始動し、そこに「手帳初心者兼三日坊主」ながら参加させていただきました。手帳の中身を検討する中で、たまたま私のアイディアが採用されたのですが、それが「感謝」のワークでした。

感謝って、何というかありきたりのような感じがしますよね?
私も以前まではそんな印象でした。でもあることをきっかけに、この感謝がどれほど大事なのか痛感したので、今回はそんな話をシェアできればと思います。

きっかけは、中年期特有の焦燥感に悩んだことから

一時期、これまでの人生を振り返ってみて、「何も成し得ていない、何者にもなれていない自分」を猛烈に悔いている時期がありました。俗に言うミッドライフクライシスです。

毎日毎日鬱々としてしまい、気が付くとネットで「同士」を探してしまう。さらに同士と思しき人が見つかっても、次第にやりたいことを見つけ、充実した日々を送る姿を見ると嫉妬してしまう。勝手ながら、自分とは違う部類の人だったんだな、とがっかりしていました。   

今思えば、その方たちは「自分軸で生きる分岐点」に立たされていたのだと思います。そして、その流れで自分軸で生きることを覚悟され、一歩を踏み出したのでしょう。そんな中、私はただ自己嫌悪を募らせるばかりで、何も行動しようともしていませんでした。

そんな生活も数か月経った頃でしょうか。あるとき、以前親友からもらったlineを見返していました。その中の「あなたはそのままのあなたでいる時が一番素敵だし、隠す必要はないんだよ。」というメッセージを読んだ後、しばらく涙が止まりませんでした。

親友がこのメッセージをくれたとき、私は第一子を出産したばかりで、その地域の「ママ友」のグループ にもあまり馴染めず、少し自信を失っている状態でした。当時、この言葉に勇気づけられはしましたが、彼女の真意をどれだけ理解していたのかは定かではありません。

けれど、数年の時を経て、私に新たな一歩を踏み出す勇気をくれたのは、彼女がくれたこの言葉でした。

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親友の言葉から引き出される自己肯定感

幼少期の頃から至らない部分を家族に叱責されることが多かったせいか、かつては自分へのダメ出しを得意としていました。ここで言う「ダメ出し」は、「他人と比較してダメな部分を列挙する」という意味です。  

でも、これって無意味なんですよね。自己啓発本などでもよく言われることですが、結局それは「他人が持っているもの」と「それを持っていない自分」との比較であり、最初から優劣が決まっているので、やろうと思えば半永久的にできます。それに対し、「自分が自分でもいい(自分でなくてはならない)理由」ってなかなか思いつかないんですよね。        

そんな中、親友がくれた言葉から、親友本人、夫や子どもなど、自分と近しい人たちに思いを馳せていると、次第に感謝の気持ちが湧き上がる感覚を覚えました。そのとき、この人たちは、私がいつしか失ってしまった

「私(まめたろう)は私(まめたろう)。それでいい。」

という感覚を持ってくれていることに気づきました。なぜなら、私も同じことをこの人たちに思うからです。ダメなところがあって当たり前。彼らが不完全な存在だからこそ、私は強く心惹かれるのです。     

彼らは、常にありのままの私を肯定してくれている。では、私が自分で肯定できるところがあるとしたら、どこなんだろう?と真剣に考え始めました。すると、不思議なことに、ぽつぽつとアイディアが出てきました。同時に、忘れかけていた「自分との繋がり」を取り戻したような気がしました。

結果的に、自分のいいところを自分で探し、さらにそれが腑に落ちたことが大きかったように思います。

親友が教えてくれたこと、ライフワークとしての 「感謝」

そんな大切なことを気づかせてくれた私の親友は、数年前に天国へ旅立ちました。20年近く私と友人でいてくれた彼女との別れは、これまでの人生で一番辛かったけれど、同時に「彼女がくれたあの言葉どおり生きる」という覚悟が決まりました。そして、決して彼女への感謝も忘れまいと心に誓いました。

私とは対照的に、何でも器用にこなすタイプだった彼女は、さりげなく人を褒めるのも得意でした。お世辞ともつかない絶妙な褒め方で、気が付けば皆彼女のファンになってしまう。そんな素敵な人でしたので、告別式には
多くの人が集まりました。

彼女のご家族はよく知っているけれど、子供を持ってからのご友人の方や職場の方などは初対面の方がほとんど。しかし顔を合わせるなり、
「まめたろうさんのことは存じています」
と皆さん仰って、ただ彼女の友人であるだけの私にとても良くしてくださいました。一緒に行った長男も、大変かわいがってくださいました。

私がそのことに言及すると、「〇〇(私の親友)さんには感謝しているから」と、皆さん口を揃えて仰ったのです。

そのとき、ああ、彼女はこんなにも人々から愛されて、そしてこの方々は彼女への感謝で繋がっているんだなあと思いました。    

張り裂けそうな思いで息子と飛行機に飛び乗った時には予想だにしなかった「感謝に満ちた世界」が、そこにはあったのです。
その日から、私にとって「感謝」は「ライフワーク」になりました。

終わりに

自己肯定感が高まったからと言って、全く落ち込まないかといわれるとそうでもないんですが、もうこんな自分はいやだ!と思うことはなくなりました。

親友のような素晴らしい人に出会えたのは、この「私」として生を受けた から。そして彼女は、どんな私でも「まるごと」受け入れてくれました。

今、私はそれを、できるだけ多くの人にしていきたい。そうして誰かが  「私って最高じゃん!」と思えたなら、こんな幸せなことはありません。

微々たるものでもいい。彼女からもらった沢山の幸せを、周りに還元していきたいと思います。

長く稚拙な文章をここまでお読みいただき、どうもありがとうございました。


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