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サステナビリティ情報開示の義務化の意義と課題

2022年は、サステナビリティ情報(ESG情報)の開示ルールの義務化を廻り、国内外で大きな進展がありそうです。
近年、企業価値評価におけるサステナビリティ情報の重要性への認識が増すにつれて、国際的に比較可能で一貫した開示基準へのニーズが高まると共に、投資家を中心として開示の義務化への期待が高まっています。
国内では金融庁の金融審議会ディスクロージャーワーキング・グループにおいて、有価証券報告書におけるサステナビリティ情報開示(法定開示)のあり方が検討されています。

■ サステナビリティ情報開示の義務化を巡る主な動き

・ IFRS財団によるISSBの創設

2021年10月、G20財務大臣・中央銀行総裁会議において「G20サステナブルファイナンス・ロードマップ」が公表され、その中で、国際会計基準(IFRS)の設定主体であるIFRS財団が進めるサステナビリティ情報の開示基準の策定を支持することが表明されました。

IFRS財団がサステナビリティ情報開示において一定の役割を果たすことについては、IOSCO(証券監督者国際機構)を始めとする国際的な組織・団体等からも既に幅広い支持が得られています。

このような背景を受けて、IFRS財団は国際的なサステナビリティ情報の開示フレームワークの設定主体となる国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)を2021年11月に創設しました。ISSBの議長には仏ダノンの前最高経営責任者(CEO)、エマニュエル・ファベール氏、副議長には国際会計基準審議会(IASB)副議長のスー・ロイド氏、議長特別顧問には価値報告財団(VRF)CEOのジャニーン・ギリアト氏がそれぞれ選任されています。
(日経新聞によるエマニュエル・ファベール氏のインタビュー記事概略を下記<参考>に記載)

国際的な非財務情報の基準設定団体であるVRF(2021年夏SASBとIIRCが統合)と CDSB(気候変動開示基準委員会)も2022年6月までにIFRS財団と統合される予定です。

今後ISSBは、気候関連の情報開示から策定を始め、その後、他のサステナビリティ関連分野(水資源、生物多様性、人的資本、人権など)の情報開示についての議論を進めていくとしています。気候変動に関する開示基準の公開草案は2022年6月までに公表、2022年末までに基準の完成を目指す予定となっています。

ISSBは、「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標と目標」という4つの柱を基本とする気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD:Task Force on Climate-related Financial Disclosures)の枠組みをベースに開示基準の策定を進めており、基本的にその開示媒体は法定開示書類であるアニュアルレポート(日本では有価証券報告書)になると考えられます。

ISSBが策定を進めるサステナビリティ情報開示基準に日本産業界の意見を反映させるため、経団連は2021年11月に国内の財務会計基準作成の主体である企業会計基準委員会(ASBJ)の母体である公益財務会計基準機構(FASF)の傘下に、サステナビリティ基準委員会(SSBJ)を立ち上げることを求める提言を公表しました。これを受けてFASFは2021年12月にSSBJの設置(2022年7月予定)を公表しています。

・EU委員会によるCSRDの公表

2021年4月、上場企業及び一定の要件を満たす非上場企業(従業員250名以上の大規模企業など)に対してサステナビリティ情報の開示を要求する企業サステナビリティ報告指令案(CSRD:Corporate Sustainability-information Reporting Directives)が公表されています。

サステナビリティ情報開示を年次報告書であるマネジメントレポート内で行うという義務を対象企業に課しています。EU加盟国は、2023年初めの適用(2023年中の活動実績を2024年の年次報告書にて公表)に向け、2022年末までにCSRDに基づき国内法を整備することを求められています。

IFRS基準が、財務インパクトに焦点を当てた財務上の重要性(シングルマテリアリティ )のみを考慮するのに対して、EU基準でもあるCSRDは、社会インパクトと財務インパクト双方の重要性(ダブルマテリアリティ )を考慮しており、両基準はサステナビリティ情報開示において異なる方向性を示していると言えます。

但し、気候リスクが財務リスクにつながるという認識が急速に広まったように、サステナビリティ課題の財務面への影響は常にダイナミックに変化しています(ダイナミックマテリアリティ )。この観点からも、現在ISSBの基準策定は気候変動からスタートしていますが、将来的には他のサステナビリティ関連分野にも拡大されていくことは必然と思われます。

また、国内ではISSBの策定基準に注目が集まりがちですが、日本企業は、EUに250名以上の規模の支社・支店等を持つグローバル企業に限らず、サプライチェーン上の取引関係の観点(発注元企業がCSRD準拠を要請されるケース)からも、多くの中堅・中小企業においてもCSRDに関する動向を注意深くフォーローしておく必要があります。

・その他(英国、米国)

英国財務省
英国では、2020年11月、財務省がTCFDに沿った気候変動関連情報の開示の義務化に向けた今後5年間のロードマップを提示しました。ロンドン証券取引所のプレミアム市場の上場企業は2021年1月より(スタンダード市場の上場企業は1年遅れ)、コンプライ・オア・エクスプレイン方式によるTCFDに沿った気候変動関連情報の開示の義務化適用が開始されます。

米国証券取引委員会
米国では、証券取引委員会(SEC)が2020年11月の人的資本の開示義務化に続いて、2021年3月、気候変動の開示に関するルールを見直すための意見募集を実施しています。人的資本については、2021年6月、開示項目の具体化(契約形態ごとの人員数、定着・離職、構成・多様性など8項目)を求める法案が下院を通過、同年9月には上院で公聴会が実施されました。

■ 国内の開示ルール義務化に向けた動き

・コーポレートガバナンス・コードの改訂

2022年4月に行われる東京証券取引所の新市場区分の見直しに併せて、2021年6月にコーポレートガバナンス・コードが改訂されました。本コードではサステナビリティ情報の開示について以下のように定めています(補充原則3-1③)。

  • 上場企業は経営戦略の開示に当たって自社のサステナビリティについての取組み(人的資本、知的財産への投資含む)を適切に開示すべき

  • プライム市場上場企業は、TCFDまたはそれと同等の枠組みに基づく気候変動に関する開示の質と量の充実を進めるべき

本コードはソフトロー ですが、プライム市場上場企業(1800社程度になる予定)にとっては実質的な強制力を伴います。

・有価証券報告書への開示義務化の検討

2021年6月25日に開催された第46回金融審議会総会において、近年の企業経営におけるサステナビリティの重視やコロナ後の企業の変革に向けたコーポレートガバナンスの議論の進展等といった経済社会情勢の変化を受け、投資家の投資判断に必要な情報を適時に分かりやすく提供し、企業と投資家との間の建設的な対話に資する企業情報の開示の在り方について幅広く検討を行うことが諮問されました。

この諮問を受けて、金融庁ではディスクロージャーワーキング・グループ(以下、DWG)を設置し、サステナビリティを巡る企業の取組みとその情報開示、コーポレートガバナンスの議論の進展、その他諸課題について議論を進めています。

2021年9月以降、 DWGでは、統合報告書やサステナビリティレポート等、主に任意の開示書類において開示が行われているサステナビリティ情報について、有価証券報告書(対象企業は約4000社)での開示の必要性及び(開示が必要な場合は)その開示のあり方などが検討されています。

DWGでの議論はISSB の動向を踏まえて行うこととされています。そのため、有価証券報告書でサステナビリティ情報の開示が求められるようになる場合、ISSB 基準の段階的な適用などが想定されます。

■ サステナビリティ情報開示の義務化の意義

ここからは、有価証券報告書でのサステナビリティ情報の開示について、その意義と課題などについて考えてみます。

サステナビリティ情報が主に開示されている統合報告書やサステナビリティレポート等の任意の開示書類の発行企業数は、規模の大きい企業が数多く占めており、600社程度と考えられています。一方で、上場企業は約3,800社存在していることから、任意の開示書類でのサステナビリティ情報の開示は一部の企業に限られている状況です。

また、任意の開示書類は、企業の創意工夫による情報開示が行い易い一方、記載項目や記載場所が企業によって異なることから、企業間の比較が難しいという指摘があります。有価証券報告書の記載内容は金融庁所管の企業内容開示府令で規定されており、情報の比較可能性が高まることになります。

サステナビリティ情報はその性質から多義的であり、各企業の事業内容や経営環境などによって重要な情報は大きく異なります。そのため投資家等の情報利用者が任意開示のみで比較を行うことは難しく、この点(比較可能性の向上)に法定開示の意義があると思われます。

■ 課題(どのように開示するか)

サステナビリティ情報は、有価証券報告書の記載欄の内、「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」「事業等のリスク」などに関連すると考えられます。このため、サステナビリティ情報は、有価証券報告書のこれらの記載欄にどのように開示すべきかという整理が必要となります。

サステナビリティ情報の開示の前提には、企業による重要なテーマ(重要課題)の特定があり、これは企業の経営理念やパーパス(社会的存在意義)に関連すると考えられるため、「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」の記載欄で開示することが望ましいという意見がある一方で、サステナビリティ情報の開示の促進、比較可能性の担保等を踏まえると、サステナビリティ情報として一つの独立した記載欄を設ける方が望ましいという意見もあります。

また、それぞれの記載欄に相互参照する方法や「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」などにはサステナビリティ情報の経営者の考え方等の大枠について開示し、詳細な内容については、独立した記載欄を設けて開示するといった方法も考えられるのではないか等の意見も出されています。

DWGでは、投資家など財務諸表利用者の利便性と企業の創意工夫を妨げない開示方法について活発な議論が行われています。

■ 有価証券報告書でのサステナビリティ情報の開示例

2021 年12 月に金融庁から「記述情報の開示の好事例集 2021」が公表(本年2月に更新)されました。 その中で、企業の有価証券報告書におけるサステナビリティ情報の開示に関する好事例が紹介されています 。

例えば、オムロンでは有価証券報告書の「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」の欄に「サステナビリティ重要課題に対する取組みによる非財務価値向上」として、以下のとおり、経営戦略と連動した形でサステナビリティ情報を開示しています。

<オムロンの有価証券報告書でのサステナビリティ情報の開示例(一部抜粋)>

【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】
・中期経営計画では、事業戦略とサステナビリティ重要課題の双方を同様に重要と位置づけて企業価値向上に取り組んだ
・中期経営計画にサステ ナビリティ目標を組み込み、取締役の中長期業績連動報酬に、第三者機関の調査に基づくサステ ナビリティ評価を採用した
・注力ドメインの1つであるヘルスケア事業での取り組みの開示例
- 社会課題:高血圧由来の脳・心血管疾患発症の増加
- 事業ビジョン:脳・心血管疾患の発症ゼロ(ゼロイベント)
- サステナビリティ目標:血圧計販売台数:2500万台/年 、血圧変動を連続的に把握できる解析技術の確立など
- 実績:血圧計販売台数:2400万台/年 、日中の血圧変動を常時確認できる腕時計型のウェアラブル血圧計を米国で発売し、グローバルに展開など

オムロンの有価証券報告書(2021年3月期)

■ まとめ

金融庁のDWG では、投資判断に必要な情報提供の観点から、気候変動、人的資本、多様性などの企業共通に重要性が高いと思われるサステナビリティ情報の有価証券報告書への記載については一定の合意がなされているようです。

持続的な企業価値向上を目指す企業にとって重要なことは、自社の企業価値評価に関わる重要なテーマ・課題を見極め、投資家を始めとするステークホルダーになるべく分かり易く、比較可能な形で情報を開示することです。

現在、国内外で進められているサステナビリティ 情報開示基準の統一化の動き(ISSBの設立、CSRDの策定など)及び当該基準をベースとする開示の義務化(法定開示)は、比較可能性という点では、現状の任意開示の乱立状態と比べて格段の進歩と言えるかもしれません。

一方、企業価値との関連性についての分かり易さという点では、気候変動、人的資本、多様性、人権などのサステナビリティ情報を個別に開示するだけではあまり意味がなく、開示情報の一貫性及び経営戦略等との整合性が重要となります。

その意味では、有価証券報告書の「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」において、経営者の企業価値創造におけるサステナビリティの位置付け、考え方を自社の企業理念・パーパス(社会的存在意義)、長期ビジョン、ビジネスモデル、経営戦略などと関連づけて明確に説明することが重要です。

その上で、「サステナビリティ情報」という記述欄を新設し、気候変動、人的資本などの個々の社会課題への取り組みについて、ISSBの開示基準のフレームワークになることが想定されるTCFDの4つの柱(ガバナンス、戦略、リスク管理、指標及び目標)をベースに定量的及び定性的に情報開示することが望ましいと考えます。

このためには、企業自身が、パーパスに基づく一貫した「価値創造ストーリー」を構築することが大前提です。企業の第一義的な目的は情報開示ではなく、パーパスの実現(社会価値及び企業価値の持続的な創造)にあることを経営者がしっかりと認識し、そのための経営(サステナビリティ経営)に真摯に取り組んでいくことが何より求められています。

<参考> ISSB議長、エマニュエル・ファベール氏インタビュー概略

 ・最初の仕事は気候関連の基準をつくることだ。22年前半には公開草案を発表できるのではないか。意見を世界中から募り来年中に基準を完成させたい
・『気候』の次に取り組む分野は、来年前半から関係者との相談を始めて、数年先のアジェンダ(課題)を決めたい。私だけでなく審議会メンバーの意向も重要だ。自然資本や生物多様性、水資源、社会問題など幅広いトピックスが検討の対象になる
・私たちは投資家の意思決定に役立つ基準をつくりたい。世界の情勢や各国の政策は変わるから、投資家に重要な情報も今年と来年では違ってくるかもしれない。機動的に対応する
・IASBとは密接に連携したい。彼ら・彼女らは財務会計基準、私たちは非財務情報という違いはあるが、相互に補完すべきことは多い。例えば、ESG関連の情報を財務といかに統合すべきか。財務諸表に入れるのか、『経営観測分析』(MD&A)のような説明の一部とするかといった問題だ
・似た基準を二重につくっても仕方ないので、IASBとよく議論して、擦り合わせる必要がある。審議会だけでなく、基準の細部を検討するテクニカルスタッフも連携していくだろう
・基準づくりに関して、IFRS財団には多くの関係者から様々な声が寄せられている。強く要望されたことの一つが、『アルファベットスープ』と呼ばれる基準の乱立を解消してほしいということだ
・ISSBが米欧にまたがる価値報告財団(VRF)などと統合するのも、そうした状況を解消するための取り組みだ。さらに再編は進むだろう。私たちの基準が影響力を持てば、それ以外の活動は自然と下火になるのではないか

日経新聞2021年12月24日付記事

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