明るい方へと歩む道筋「WUG 新章」

『Wake Up, Girls! 新章』を見た時に
自分が感じたことをここに書き留めます。

ちなみに自分が
この作品を見終わったのは
今年の1月のこと。
思ったことはいくつもあって
書きたいと思っていたけれど
それよりも先にWUGの活動を観たくて
気がついたら3月になっていた。

下記よりWUG新章
本編のネタバレが
存分に入っているので
注意してほしい。


最初に結論

あえて最初に結論を述べておく。
評価すべき点と、
もっとこうしてほしかったという点、
様々なことを感じたが
本記事の結論は
『Wake Up, Girls! 新章』は
少なくともBlu-ray BOXを見た限りでは
世に言われているほど
批判されるべき作品ではなく
もっと評価に値する作品である

と、考えている。


キャラクターデザイン

旧章と新章の大きな差の1つがこれだ。
制作スタジオの変更によって
キャラクターデザインが
大きく変更された。
新しいキャラデザの最大の変更点は
頬がピンク色になった、ということ。
少女たちがもがき苦しみながらも
前を進んでいく姿を描いた旧章に比べて
初めて4th LIVEの映像で
キャラデザを見た時は
その頬のピンク色には違和感があった。

確かにそう思っていたのだが
実際に本編を見ていた間は
正直そこまで気にならなかった。
きっと見慣れていないことで
違和感があっただけなのだろう。

ただ旧章との差異を探して
生じた違和感を気にして
批判していただけなのだろう。
最後まで見ていれば
そこまで批判できなくなっていた。


3DCGライブ

2つ目の旧章と新章の差は
やはりライブシーン。

旧章は徹底的に2Dで描き切った。
手書きだからこその熱量が
確かにそこにはあった。
大型アイドルアニメコンテンツ
『ラブライブ!』がその後の
アイドルアニメのライブシーンを
ほぼ全て3DCGに変えた
と言っても過言ではないが
その中でも手書きを貫いた精神には
ある種のプライドのようなものを感じた。

新章で3DCGライブを初めて見た時
(1話のOPで流れた『7 Senses』が該当)
個人的にはそれほどショックではなかった。
正直その後のMステみたいな音楽番組で
『7 Girls War』が流れた時の方が
よっぽどショックだったのだが
それは後述することとしておく。

「新章から3DCGにしたことで
 他の数多のアイドルアニメと
 同じになってしまった」
と、批判する声を見かけたのだが
『Wake Up, Girls!』という作品が
掲げていることの1つに
「ハイパーリンク」がある。
ここでいうハイパーリンクとは
2次元のWUGと3次元のWUGの
境界線をなるべく薄めて
双方向的に魅力を増すこと
だというように
個人的には捉えている。

3DCGによるライブシーン描写の利点は
モーションキャプチャーの使用による
「よりリアルな動きの再現」である。
これによってもたらされるものは何か。
それこそが、
3次WUGのダンスを取り入れた
2次WUGへのフィードバックである。
実際にモーションキャプチャーを
7人が担当していた。

「いや、あいちゃんのダンス
キレキレじゃん」
という意見も見かけたが、
現実で数年経ったように
作品内でも時間が
経過していたはずである。
いつまでも歌えない・踊れない
そんな林田藍里ではない。

ただし、ライブシーンを
3DCGにしたことで
逃れられない
弊害があったのも事実だと思う。

アイドル不況時代の到来で揺れる
Wake Up, Girlsや
I-1 clubの葛藤を描いた本作。
ヴァーチャルアイドル
「Vドル」という黒船の襲来に
アニメ内世界で活動する
リアルアイドルたちが
どのように立ち向かっていくか
どのように生き残っていくか
を描いている。

もちろん「計算された完璧さ」を
体現したVドルと「計算できない
非完璧だからこその可能性」を
体現したリアルのアイドルという
二項対立が問題なので
必ずしもこの主張が
正しいわけではないが
Vドルもリアルアイドルも3DCGで
一緒くたに描いたことで
両者の差異を視聴者に対して
視覚的にわかりやすく
表現できなかったことは
問題だったと言えるのではないか。


披露された楽曲たち

先述の通り、第1話で「7 Girls War」を
見た時は正直ショックを受けた。

最初は想い出の楽曲のシーンを
3DCGで描かれたことで
WUGとの想い出を
塗り替えられてしまいそうだから
ショックを受けたのだ
と思っていたのだが
しばらく考えて気づいた。

「7 Girls War」を見た時に感じた
ショックや怒りは
BtBから新章までの3次WUGでの活躍を
否定されたように感じた
からこそ
生まれたのだと思う。
なんでよりによって「7 Girls War」なんだよ
間に生まれた名曲たちがたくさんあるのに
と、いうように。

しかし、このように感じられたのは
制作側から見てみれば
成功と言えるのかもしれない。

現実の話をしてみよう。
今や紅白に出れないことを
ネタにし続けている
ゴールデンボンバー。
2012年から4年連続出場だったが
残念ながら歌えたのは
「女々しくて」のみ。
石川さゆりは
「津軽海峡・冬景色」と
「天城越え」を
交互に披露している。

このように、どれだけ努力して
どれだけ有名になっても
同じ曲しか歌わせてもらえない。
そうゆう状況がTVの音楽番組には
しばしば見受けられる。

「7 Girls War」は作品世界において
大ヒットメーカーの早坂が
WUGのために作った楽曲である。

どれだけ努力しても
どれだけ活動を続けていても
ずば抜けた楽曲や
話題性のある楽曲を
乗り越えられなければ
TVで披露もさせてもらえない。

作品内のWUG7人と関係者が
苦悩し、葛藤している状況に
視聴者を即時に共感させるには
あえて「7 Girls War」を
TVの有名番組で披露させたことは
正解と言えるだろう。

そして「HIGAWARI PRINCESS」を
次に選んだのは大正解だったと思う。
ライブ(および映像)を見たことがあれば
どうしたって振りが印象的なこの曲。
現実をアニメに落とし込むにあたって
3DCGが、いかにリアルに
現実を落とし込めるかを
まざまざと見せつけられた。
正直感動している自分がいた。

そして極めつけの最終話。
キャラ演技でのメドレーは
まさに現実とアニメの
ハイブリッドだったと言える。


描かれてほしかった楽曲

それだけハイブリッド化に
成功していた作品と言えるからこそ
どうしても描いてほしかった楽曲が
いくつかある。
例として3曲あげよう。

①16歳のアガペー
1サビ後半に推しの名前を叫べでお馴染み。
ライブでは後に定番曲となったが
アニメでは1度しか流れていない楽曲。

アニメでは売れっ子先輩ユニット
Twinkleに作ってもらった曲だが
経験不足が否めない初期の
「おイモちゃんたち」が
I-1 Clubと同日に仙台で
初の単独公演を行い
率直に言えば
「大失敗」してしまった日。
そこで初披露されたのが
この曲だった。
楽曲自体に関しては
作品内で批判されていないものの
不遇の1曲だったと言っても
過言ではないだろう。

しかし3次元では違った。
先述の通りライブでは大人気で
WUGの代名詞的な楽曲の1つとなった。
WUGラジのEDにも
起用されていたようなので
そこで馴染み深くなった
という人もいるだろう。

現実とアニメで
ギャップができてしまった
最初の1曲であると言えるだろう。

②素顔でKISS ME
この曲以上に不遇な楽曲は
「Wake Up, Girls!」という
アニメ作品には存在しないだろう。

劇場版2作目において
WUGには全く合わない楽曲という
烙印を押されてしまい、
○-nationでは観客9割に無視され
まるでトラウマのように
扱われてしまった楽曲である。

しかし、3次元のWUGでは
随分前から歌いこなしていた
という印象がある。

歌声はクールに
振付は妖艶に

それだけにアニメと現実の間で
最も評価が乖離してしまった楽曲
と言っても過言ではない。

だからこそ、3DCGで
アニメのWUGちゃんたちが
堂々と歌いこなす姿を描いていれば
アニメが現実へと追いつく瞬間が
また1つ増えただろうと思う。

③レザレクション
新章はWUG7人の成長ももちろんだが
岩崎志保が救われる物語だったとも
考えることができるのではないか。

旧章において
日本一のアイドルグループの
センターとしての責任や重圧と、
初代センターのまゆしぃと
正々堂々と勝負できなかったのに
センターになってしまったことへの
「私はまだ1度も勝てていない」という
圧倒的な劣等感が描かれていた。

そして、萌歌との争いに破れて
ネクストストームに移籍した彼女は
まゆしぃと似た道筋を歩みながらも
理解するという行為自体を
ある種「拒絶」していた。

そんな彼女が
ドラマのW主演を機に
表向きにはまゆしぃと、
実質的には自分自身と向き合いつつ、
少しの間離れてしまった
ネクストストームへの
愛情をさらに深めたことによって
自分の歩んできた道を「許し」
自分の居場所を見つけ
より「明るい方へ」と
歩んでいくことができた。

岩崎志保は
新章が描かれたことによって
さらに魅力が増したと言える。

それだけに最終話の
ネクストストームのライブシーンが
3DCGではなく止め絵だけに
なってしまったことは
オンエア時間の関係上
仕方がなかったとはいえ
やっぱり動いている彼女たちを
見たかったなと心から思う。


救済の物語

新章の物語では
様々なキャラクターが救い、
救われた物語だったように思う。
2人の例をあげよう。

①岩崎志保
先程述べたように
志保は日本一のアイドルの
センターとしての重圧や
居場所が定まらない不安定さ
まゆしぃへの劣等感から
救われている。

また、WUGのライブ会場の
お膳立てをしたことももちろん、
まゆしぃとのドラマ共演をきっかけに
I-1 Clubのセンター争いによって
修復が難しくなってしまった
まゆしぃとの関係性や
まゆしぃが抱いていた
志保へのやるせなさ、申し訳なさから
まゆしぃを解放することができた。
たとえ意図的ではなくとも
2人は相互的に救済されていた。
間違いなく新章でのキーマンだった。

②早坂相
天才音楽プロデューサーである彼は
志保からのお願いがあってのことだが
WUGの仙台公演の会場を用意した。
また、Polarisの楽曲提供を行うなど
新章においてもWUGを救った
キーマンの1人だったと言えるだろう。

常に自分の面白いことを中心に
行動を続けた彼だが
その行動が結果的には
アイドル不況時代において
「だるま」の意思に
仕方なく従っていた白木をも
救ったように思う。

そして、彼自身も救われている。
新章において、かつて彼が
所属していたバンド「Task'ill」の
解散エピソードが披露された。
思い出す度に苦しそうな表情を
浮かべるほどのトラウマである。

バンドメンバーの作詞した紙を
破り捨てるシーンが描かれたこと、
早坂の作曲でありながらも
作詞をWUGに任せたことから、
まさに「Polaris」という楽曲こそが
彼自身のトラウマの種であり
Task'illでは相応しい作詞を
つけることができなかった楽曲
だったのではないだろうか。

Polarisに相応しい歌詞を
WUGの7人が完成させたことで
彼自身も過去のトラウマから
救済されたのである。



結論

言いたいことはたくさんあるが
やはり結論としては
「もっとこうしてほしい」という
改善点はいくつかあれど
それぞれの幸せを追い求め
誰かが誰かを救い続けた物語と
3DCGによって紡がれた
現実のフィードバックは
間違いなくWUG新章の
評価すべき点と言える
だろう。

新章をまだ見ていないワグナーは
きっとこの記事を
読んではいないだろうが
もしも万が一いたのなら
ぜひ自分の目で確かめてほしい。

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