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「自問自島」に行って考える

5月18日に行われた、あきやあさみさんの講演会「“なりたい自分”ってどんな自分? 服を選ぶ前に表現できる言葉を探そう!」をリアルタイムでオンライン視聴しました。

講演会についてのあきやさんの日記はこちら↓
ヘッダー画像もこちらから使わせていただいてます。


ここでは、講演を聞いて私が考えたことや感じたことを書き留めておこうと思います。
「自分語りOK!」とのことなのでどんどん自分の話をするぞ。

「好き」に責任持たなくていいという話
「なりたい」は、まだなっていない憧れだから言えるし「似合う」は事実だから言えるけど、「好き」をすごく重いものだと捉えているところあるなあと思った。
あきやさんの言葉で少し心が軽くなったけど、そもそも「色々知っていないと好きって言っちゃダメなのでは?」とか「好きって一度言ったら取り返しがつかないのでは?」みたいな気持ちになるのってなんででしょうね?

自問自島のワーク
ここで会場参加の方のコメントを聞けたのがすごく良かった!人によってキーワードの捉え方が全然違うことを実感できた。

私の場合…
かわいい→「好き」だけど「なりたい」ではない。でも「なりたいじゃない」は「なりたくない」ではない。ややこしいな??
広く世間に対してかわいいを出す必要はないみたいなイメージ。

かっこいい→「なりたい」だと思ったけど、もうなっている気もするから「似合う」でもあるかも。

きれい・聡明・かしこい→「なりたい」

奇妙な・インパクト→最初は「なりたい」に入れていたけど、あとから見返したら「好き」の方だと思った。

奥ゆかしい・詩的な→「違和感」。わりと迷いなく詩的を違和感に入れた自分にちょっと驚いた。そうか、詩的ではないのか。

コンプレックスの話
多数派とか標準の範囲に入れないことで生まれるコンプレックスってある。
人それぞれ違うことは当たり前で素晴らしいことだけど、「みんなと同じ」になりたいのも誰もが抱える気持ちだと思う。

いくら相手が好意的に素敵だよ!って言ってくれてもわたしの欲しい素敵はそれじゃないの!って思ってしまう。
最終的には自分で折り合いをつけるしかないけれど、そんなときに味方になってくれるのが、あきやさんにとっての「巨木」みたいにコンプレックスをひっくり返してくれる言葉なんだろうな。

「博覧強記」を骨に刻みたい
哲学、美学、骨に刻みたい(頭蓋骨に書きたいかどうか)が「なりたい」だ。というかんじのお話があり、私は何を刻みたいかなーと考えたらやっぱり「博覧強記」だなあと思った。
どちらかというと人から評される際に使われる言葉だから自分で言ったらってなれるものではないけど、そうなるために生きていくというのはけっこういいものかもしれない。

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