オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームで改めて感じたラジオの優しさ

 私はラジオが好きだ。聞きながらほかのことができるし、聞かない時よりも家事がはかどる。我が家は夫が朝早く、就寝も早い。一人目を出産してすぐは、寝室の隣のリビングで映画(とくに中世の貴族の物語!現実逃避!)を見ながら夜授乳後の寝かしつけをするのが至福の一人時間だった。年子で二人目ができると、やっと寝かしつけた一人目を起こしたくないために、映画は諦め、無音の中で気持ちを切り替えることが難しい日々が続いた。ある日、そうだラジオを聴こう!と思い付き、ラジコのまだないそのころ、YouTubeで気になる芸人の名前を検索し、聞いてみた。
 オードリーのM1での漫才はとてもおもしろくて好きだったが、ラジオがおもしろいという記述を雑誌で目にしたときに、違和感を覚えた。又吉らと並んで読書についてトークする時や、ひな壇に座って笑っている若林の笑顔がどこか嘘くさく見える時があったから。
 ラジオでは音楽が一切なく、二人のオープニングトークの語りが続く。春日の広がらない返答の仕方、双方向化しない語り口へのイラつきを的確に言語化して伝える若林にスカッとした。私が夫に対して思っていることをそのまま言ってくれているような気がした。
 夫はとてもよく家事をしてくれる良い人だ。早くに帰宅し、一日中乳飲み子二人を世話しているだけの私の話もよく聞いてくれた。ただ、二人で話した時に、「やっと大人と話せる!」感を満たしてもらえない暖簾に腕押しな感じのやり場のない欲求不満を持てあましていたのだということを、春日と若林のやり取りを通して思い知らされた。しかし、今はこの人とやっていくしかないのだ、とにかく今は子供たちが大きくなるために頑張らなければ。この人たちもツーカーのパーフェクトカップルではないが、こんなに楽しくショーにしているではないか、と。おそらく誰とも共有できないであろうラジオでの昇華の仕方をして励まされた。
 春日の恋愛話、結婚、記事に載ったこと、そこからの立ち直り、若林のお父様がお隠れになったこと、嫁の妄想、からの結婚・・・彼らの人生の変化とその戸惑いの物語を一緒に生きているように思って心強かった。ラジオは目に見えないからこそ、今の自分の気持ちを投影しやすい力を持っているのだろう。
 そして、東京ドーム。武道館は二人の子育てで手一杯で行けなかったが、中学生になった今、やっとファンイベントに行ける!しかし、もう私は若くはない。聞き始めてから10年以上経っている。若者やカップルや楽し気なグループに混じって、おばさん一人が行ったところで楽しめるだろうかと不安になった。しかし、寒さと共に、「私が結婚生活と子育てに役立ててきたラジオじゃないか!胸を張って行こう!」と一人で行くことにした。
 私の不安を知った夫と息子がドームの外まで自転車で見送りに来てくれた。ドームの中では若林がさっそうと自転車で走り抜けていった。
 私はラジオを聴きながらいつも勝手な連想や一日の振り返りをしていたので、細かなエピソードは覚えていないが大丈夫か心配だったが、若林はそういえばいつも同じ繰り返してくれていた。新しいリスナーがいつ来てもよいように。初めてコンビニのコーヒーを入れた時に店員に手順を怒られたときの戸惑いをそのままラジオまで持ってこられる人だ。とても誠実で行き届いたイベントだった。おもしろいとかおもしろくないとかいう次元では語れない、長くラジオで励まされてきた人間にとって、これからもついていこうと思えるイベントだった。そして、これを書いたら怒られるかもしれないが、やはりオードリーは春日の華と受け流し方と春日なりの優しさがなければ成立しないことも視覚化できた。
 ごった返す水道橋駅を背に、お茶の水を目指しながら、皆の中にいながら、これからも一人で生きていけるようにしようと熱く心に誓いながら帰途に就いた。

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