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いいじゃ無いか幸せならば

おはようございます(^O^)/。

高知のまめさんでーす♪

今日も、日本を変える為に高知県仁淀川町の別荘で目が覚めましたー(^0^)/

『まめまめーる』は、心のサプリメント。。。(^_-)-☆

昨日から仁淀川町の別荘に来ています♪

今日から、畑作りp(*^-^*)q

天気に恵まれて、めっちゃ楽しみまーすヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

今日も、絶好調で楽しそうに笑顔で過ごしましょう。

今日はいい日だ( ^^)Y☆Y(^^ )。
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もっちぃ@埼玉こと、もとよしかよこさんからの投稿です。

まめ様

おはようございます。

毎日、まめまめーるを拝読させていただいております。

モチベーションが下がりメンタルぎりぎりのところで自分を保つここ数日。。。

> 夢は叶う、あきらめるな!
> というより、夢は星の数ほどあるんだから、挫折しても不幸にはならない。
> 気づかなかった星達が、また新しい道を照らしてくれる。
> だから、失敗を恐れずやれる限り頑張ってみな。
> 好きな道なら、例え険しくともなんとかなるもんだ( ̄▽ ̄)
> (経験談)

夢は星の数ほどある・・・

そうか、そうだなぁと、少し心が軽くなりました。

また頑張れそうです。

いつもありがとうございます。

もとよしかよこ

大原です♪

もっちいさん、心配するな、何とかなるさ。

いいじゃないか幸せならば。

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ピスタチオのSKさんからいただきました。

さて、ここ数年、続けていた年末の恒例行事があります。

その中のひとつに、こういう仕事に携わって以来、続けてきた

年末の「お礼参り」がありますが、今年は想うところがあって、それも手放しました。

「年末の恒例行事」と言うと聞こえは良いのですが、
「年末に行かなければならない…」になってしまっていると、それは「似て非なるもの」…。

何事も…、それがどんなにいいことであっても「ねばならない…」でするものではありません。

今年も年末に「神社にお参りに行かないと…」と想っていましたが「行かないと…?」「アレ?ウン…?」と違和感を感じました。

そこで自らの内側に「行きたいの?」「行きたくないの?」と問いかけみました。

すると「イヤ、行った方がいいと想うし、行きたくないことはないんだけど…」という言い訳が…(苦笑)。

ハイ!はづきさん、それが「答え」です…(笑)。

「行きたいかどうか?」という「問い」を投げかけているのです。

その「答え」は、カンタン明瞭。

二つにひとつ…。

「行きたい!」か「行きたくないか…」かの、どちらかです。

それ以外は「答え」ではありません。

イエ「答え」は出ているのですが、誤魔化している…、その「答え」をアタマが認めたくないだけのことです。

「行きたいかどうか?」と聞いて「イヤ、行った方がいいと想うんだけど……」という返事が返って来るということは、それが「動かぬ証拠」「本当の答え」です。

そう…、それは「行きたくない…」という「答え」です。

本当に行きたかったら「行く!」と即答できるハズ…。

少しでも迷いが出たり、答えが詰まったり、言い訳を始めたりするのは「行きたくない…」ということの意思表示に他なりません。

それを自らが潔く認める勇気がないので、答えをはぐらかそうとしているだけです。

しかし、その態度こそ「決定的な証拠」だと言えるでしょう~(笑)。
行きたければ行けばいいし、行きたくないのなら、無理して行く必要はありません。

行きたくなったら、その時にまた行けばいいことです。

気乗りがしないのなら、今はその時ではないのかもしれません。

それを「年末恒例の行事になっているから…」「これは年末の決まり事だから…」という理由でやってしまうのは、如何なものかと想います。

何もこれは「年末年始の行事」だけに限った話ではありません。

生活のあらゆる場面で、同じことが言えます。

本当に「そうしたいのか…」それとも「そうしたくないのか…」。

結局、私たちの人生は結局、こういうシンプルな問いかけの連続で成り立っているのではないでしょうか?

このシンプルな問いに、どれだけシンプルに答えられるかが、その人の人生の質・クオリティを決定づけることになるのではないかと想います。

あなたの人生は「あなたがそうしたい」と想ったことの積み重ね、連続で成り立っています。

あなたが「そうしたい…」と想わない限り、何事も始まりません。

あなたは「なんとなく、成り行きでこうなっちゃった」と思っているかもしれませんが、それは違います。

「なくとなく」であっても、あなたがちゃんと「そうしたい…」と思ったからこそ、今「そうなっている」のです。
「なくとなく…」であっても、なくても、
あなたが「こうしたい…」と思わない限り「そう」はなりません。
ですから、今「そうなっている…」としたら、それはあなたが「そうしたい」と思ったから…なのです。

そこから逃げたり、言い訳をしたり、そこを誤魔化したりしてはいけません。

「そう」なっているのは、あなたが「そうしたい…」と思ったから…。

それは誰のセイでもなく、100%あなた自身の責任によるものです。

それをはっきりと認めない限り、あなたの「そういう状態」が、勝手に都合よく、変わってくれることはありません。

厳しい言い方になるかもしれませんが、そこを認めた上で「やる人はやる!」のです。

そこが謙虚に認められない人は、いくら言っても、やりません。

結局、言い訳に終始します…。

「やる人はやる!やらない人はやらない…」のです。

それはもう、その人の人生のシナリオなのかもしれません…。

だから、本当に他人のことは放っておけばいいのかもしれません。

「やる・やらない」の決定権は、自分にしかありません。

そのスイッチを押せるのは、自分以外に有り得ません!

物理的・強制的に「他人にやらせる」ことは出来たとしても、それでは本当の意味で「やる!」ことにはなりません。

どんな些細なことであっても、自分で「やる!」と決めてやらない限り、自分の人生を生きていることにはなりません。

「他人からやらされる人生」をどんな頑張って、努力して、必死になって続けたところで、それでは、あなたの人生を輝かすことは決してできません。

残念ながら…(苦笑)。
もう本当に、他人のことはいいでしょう…。

世間の目や常識などというものは、実際に存在していません。

あくまであなたのアタマの中にある架空のものです。

あなたが「やる」のか「やらない」のか…。
大事なことは、この一点に集約されます。

それ以外は枝葉のこと…。

大勢に影響はありません。
繰り返しになりますが、その時、あなたに問われているのは、この一点です!

「あなたはやるの?やらないの?さぁ、どっち?!」
即答できない人は、閉店ガラガラ…(((爆)))
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それでは、今日の言葉です。

何でもはじめから、できる人はいない

何度もやれば、できないことはない。
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