せきゅう
おはようございます(^O^)/。
高知のまめさんでーす♪
今日も、日本を変える為に高知県仁淀川町の別荘で目が覚めましたー(^0^)/
『まめまめーる』は、心のサプリメント。。。(^_-)-☆
今日も、畑の草と土と戯れまーすp(*^-^*)q
今日も、絶好調で楽しそうに笑顔で過ごしましょう。
今日はいい日だ( ^^)Y☆Y(^^ )。
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まめまめーるで「タミフルが石油で出来ている」って言うメールを送りました。
明美さんが「石油」って漢字を表示する為に何度打っても「石油」って漢字に変換されない…。
だから「いしあぶら」って言葉を打って変換しているって…悩んでいました。
ところが、私が打つと簡単に「石油」と変換されます。
何でだろうと思って、変換しているひらがなを見てビックリしました。
「せきゆ」ではなくて「せきゅう」と打っていました…。
しかも「石油」のことを57年間「せきゅう」だと思っていたそうです…(^。^;)
ちなみに「お醤油」も「おしょゆう」だったそうです。
そりゃ変換できない訳よ…。
結婚して35年間…何度も「石油」って言葉を使ってきました。
何の問題もなく生活できた日本語って素晴らしいー(^0^)
なんだか、爆笑してしまいました(^0^)/
岡山の智里ちゃんからいただきました。
昨日のプチ独身Timeで、偶然入った『ヤマサキパン』の店主の『妖怪ベム』のようなオバチャンと有り得ないくらいの出会いをしました。
妖怪ベムは仕事中なのに、仕事をそっちのけで、初対面の私に沢山の事を熱く語ってくれました。
帰り際の妖怪ベムの素敵な言葉が今も熱く心に残っています。
『私の話しを夢中になって聞いてくれてありがとう。私はいつもここにいます、貴女とは、また話しが出来るような気がします、何も買わなくていいから、いつでも遊びに来て下さいね』
何か凄い出会いのような気がします。
話しをしている間に
沢山の偶然がありました
これは偶然ではなく必然的出会いと強く思えるのは何故だろう。
妖怪ベムとの素敵な出会いでした。
智里ちゃんありがとう(^0^)/
出来事は、すべて必然必要ベストですよ。
素敵な出会いに感謝ですね。
それでは、故野村克也さんの3回目です。
「今日も何か気付いたか?」
野村克也が語る仕事-3
私の現役引退は45歳。
できるだけの努力はやり尽くしたといえる選手人生でした。
そしてバットもミットも持てない人生をこれからどう生きていくか。
そう考えると、あとは首から上、つまり頭と目を使うしかありません。
生来、好奇心が旺盛ですから評論という仕事は念頭にあり、テレビ、ラジオ、新聞社などいくつものメディアから契約をもらい、新しい仕事は滑り出していきましたが、ただ意外だったのは講演依頼が殺到したことです。
朝9時から夕方6時まで電話が鳴り続け、妻は食事も取れないほどでした。
しかし私は人前で話すことに苦手意識があり、また何を話したらいいのかも分かりません。
急ぎ、私が師と仰いでいる評論家の草柳大蔵さんの元へ相談に伺ったのです。
「私のような者が人様に話すことなど、何もないと思うのですが」と問いかけると「胸を張ってやればいい」というお答えでした。
「ただし、あなたが体験してきた野球の話だけをしなさい。聞く人は、それを自分の立場に置き換えて聞いてくれるから大丈夫です」と。
意を決して講演に臨みましたが、野球一筋の体験は豊富でも、それを表現する言葉が出てこない。
話す内容を前の晩に書き出して準備をしても、予定時間の半分もこなせない有り様で、私はすっかり自信をなくし、ストレスで円形脱毛症にまでなりました。
講演だけでなく解説の現場でも、言葉が流暢(りゅうちょう)に出てこない日が続き、思い余ってまた草柳先生に助けを求めました。
そこで「まず本を読みなさい」と手渡された一冊が、安岡正篤著『活眼 活学』でした。
『活眼活学』は、日本の政財界やリーダーたちの精神的な支柱ともなっている本ですが、私はそれを読んで自分の無知無学を再認識したのです。
それから、ありとあらゆる本を読み始め、心に響く言葉は書き写し、赤線を引き、膨大な量に挑んでいきました。
27年間の野球生活で手にした「視点」には自信がありました。
その体験は誰にもまねができるものではないと思います。
とすれば、その体験を言葉に置き換えるテクニックを身に着けることだと考えたのです。
つまり、これもトレーニングであると。
その間にも講演依頼は途切れることがなく、私は腹をくくって挑戦する気になっていきました。
苦手なことでも続けていけばやがてできるようになる。
それが今後の力になることを野球で学んでいたからです。
野球解説者と講演の「二足のわらじ」を履きながら、自分の思考を言葉にする訓練をさせてもらいましたが、この9年間の努力が、後に監督に就任してから力を発揮することになります。
私はこの時期があったおかげで、選手に届く言葉を持つことができたのです。
こうして過ごした時間はまた、野球を深く考える日々をもたらしてくれました。
ピッチャー側からの配球を逐一予想し、解説するためにコースを9分割してテレビ画面で表現する「野村スコープ」を発案したのもその例です。
もう球場に立つことができないなら「言葉の世界で野球をしてやろう」。
その決心が私の仕事を野球にとどまらせてくれました。
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それでは、今日の言葉です。
自分が成長するほど
仕事が楽しくなるのではなく
仕事を楽しむほど
自分が成長していく
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