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語尾どうする問題が解決しない

タイトル通り、解決しないことをうだうだ言っている話です。
「そういうのは求めてない」という人は読まない方がいいと思います。

語尾、正確には文末ですが、「ですます」か「である」か、記事を書くたびに毎回悩んでいます。
結局、悩んでいる間に「ですます」で書き始めて、解決しないうちに書き終わっているので、「ですます」で投稿しています。
何をそんなに悩んでいるのかという話です。


「ですます」が嫌な理由

入力数が増えるからです。
普段、パソコンのキーボードを使っていて、頭の中で浮かんだ文章をキーボードに入力して、ディスプレイに表示しています。
ただ、この過程の間に、失われていく文章や言い回しがあります。

あ、これおもしろい
この言い方はわたしっぽい

などと思って、キーを叩いて入力している間に、「あれ?なんて書こうとしたんだっけ?」となります。
そんな短時間で記憶がこぼれ落ちているわたしの記憶性能に問題があるのは間違いありません。
ひらめいた瞬間にディスプレイに表示されていてほしいのですが、残念ながら人類にはそのような機能が搭載されていません。
そこで、記憶性能が悪いなら、入力数も減らして、さっさと出力してしまいたいわけです。

文章は鮮度が大事だと、個人的には思います。
メールやチャットとは異なり、創作性のある文章は、あとで書こうと後回しにすると、忘れていたり、思い出せなかったり、おもしろいと感じたときの自分すら失われていたりします。

「ですます」にしている理由

方言を出さないためです。
丁寧な言葉遣いしていると、自然と文章に方言が現れないような気がします。
わたしは、同じ日本語なのか疑わしいレベルで訛っているわけではありません。
おそらく、訛ってはいるけど日常を過ごす上では、問題なく伝わるレベルだと思います。
ただ、複数地方の方言のハイブリットなこともあり、地元でも通じないことが稀にあります。

訛っている方がおもしろいという需要があるかもしれませんが、訛っているせいで何言っているのかわからないというのはおもしろくないです。
伝えるために書いているのですから、伝わらないのは本末転倒です。

ほかにも、訛っている文章は読みづらいと感じます。
なんと表現したらいいのかわからないのですが、話し言葉を文字にしたゆえの違和感というのでしょうか。
「これ、日本語として合っとるんか?」という気持ちになります。
そんなことを考えているうちに文章の鮮度は失われていきます。
鮮度を優先して「ですます」をやめたのに、結局鮮度が死んでいる。
これも、本末転倒です。


文章の鮮度を取るか、伝わる正確性を取るか。
今回も悩みながら書きました。

最後まで、閲覧ありがとうございました。


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