清く、正しく、やるせなく。岩井優「彗星たち/Control Diaries」参加レビュー


岩井優さんの岩井優「彗星たち/Control Diaries」の参加/鑑賞のレビューです。


まずは、「Control Diaries」これは物語の視点でいうと「彗星たち」の前日譚に当たるのではないかと思います。

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人の気配のしない、清潔で完全な住宅街のうんざりするような羅列。これらは、原発事故後の立ち入り禁止区域の除染された後の光景です。日常の姿は残しつつも現実は全く別の存在になってしまった街並み。ひたすらに除染し続けた積層のなれの果ての記憶。

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空は変わらずの美しさを保ちながらも、地上は除染作業に追われる日々。そこでは、地表の土やコケをさらい、木の表皮は剥いで、無数の廃棄物がうまれました。海岸線には処理しきれないゴミの山が堤防のように並んでいたと聞きます。私の友人は買ったばかりの新車を海岸に残したまま、直接愛でることもかなわず、なれない東京で暮らしています。きっとそんな、生活もゴミも一つになってしまった2時間もあれば見学に行けるけどはるか遠い世界の日記なのだと思います。


そしてその物語の続きは、参加型作品「彗星たち」。


プログラムは

レクチャー → マスクの作成 → 清掃アクション → 画像の共有 →ディスカッション

でひとつの流れとなっています。指定のインスタにルールにのっとった写真を共有して話し合う一連の流れをもって作品とする。という趣向です。

多くは語られませんが初回レクチャーでは、作家自身の福島原発除染作業の体験をもとにいくつかの主張が提示されます。まるで、遊園地のアトラクションのような無邪気で無機質な動画の説明によるガイダンスからは

・マスクの装着は個人をあいまいにして世間の白い目から身を守る装置であり、作業の正当性を証明するツールなので装着して盲目的に(マスクの目貫が小さいので身体的にもそうなる)作業することこそが重要であること。

・その行為は作業ルールを守ってさえいれば、作業者の尊厳や、発注業者の中抜きのような理不尽、自然本来のありようなどを考察するわずらわしさから逃れて、ある程度の安全な妥協と報酬が約束されること。

が説明されます。かなり僕自身の印象によった解釈ですが、そういった毒とユーモアのある説明と理解しました。


そのお題に対して僕が送った画像はこちら

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私事ではありますが、今年に入ってから身内の不幸が相次いだため、そこに関連づけずにはいられませんでした。福島の祖父の死、父の死、愛猫の死。身体的な葬儀ができず、直接花を手向けることもできないもどかしさ。。。


 どうしてもレクチャーで提示された理不尽さと重なることろがあります。ならば今此処でできる葬送の形を体現するべきではないかと思い、喪をまとって、精々気持ちの納得できそうな「今自分の住まいと、精神的つながりを感じられる境界」である開かれた空間、マンションの屋上を代替行為として掃き清めることで良しとしようという行為を写真に残すことにしました。

どんな様式があろうと何が起ころうと、地平線や空、海、みたいなものは全人類共通ですから、そういった不変なものは葬儀や俗世の慣習にとらわれずにあることができると思ったわけです。


それはさておき、zoomのディスカッションではアクションの共有と理解を深める中で多様な意見の交流が行われました。

・マスクをしながらの作業は息苦しい

・公共空間へわざわざ自分が手を入れることへの気恥ずかしさ

・些細に思えた身近な空間への意識の至らなさ

・例えば、落ち葉を核にした生態系を人間の都合で処理することへの違和感

・作業者がまるで邪魔者であるかのような世間の冷たい目線

など、「必ずしも善意の正しい行いというものは好意的に受け入れられるわけではない」という事実が浮き彫りになり、なんともやるせない結果となりました。恐らく、福島の除染作業者はそういった葛藤の中で責務を全うしたのだろうということは容易に想像できるのではないかというのが全てをやり終えた感想です。

そういった「やるせなさ」を解釈する装置として最初に提示されたルールが命綱となっているのは明白で、世間の偏見や悪意から身を守る装備としてのマスクがこのアクションの要点になっているかと思うと、やはりやるせないです。

このマスクは、下地として紙袋の表面をグラファイトで塗り固め、作業者の身の回りのゴミを貼り付けることで、特異さとステルス性を生み出し「私であって私でない者が、ゴミを纏いゴミを片付ける」という異質さを表出させます。

素材になっているグラファイトは原子炉の素材のひとつなので、輝かしい文明の残り香という意味で横浜トリエンナーレのタイトル「光の破片」や、テーマの一部の「毒」「ケア」ともつながりを感じさせます。

数年前に声高に叫ばれた「美しい日本」であるとか、誰しもが共存しているけれども意識されていない世界、あるいは、やがて迎える事象への無関心さなどが可視化され、突きつけられるようなイメージ。立ち止まって考えずにはいられない、力のある作品です。

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