「なる」は認識の変更そのもの

行ったり来たりしながら色々書きたいことあったんですが、その時の衝動を逃すと何書いてるかよくわかんなくなりますねw

先日クレさんのまとめを読み返してたら、「なるはメソッドではない」「なるは認識の変更を促すものでもない」「なるは認識の変更そのもの」といった内容を見つけました。
たしかに…?

なるって私できなかったんですけど、現実を無視できないとかそういう話じゃないんだなあ。
メソッド的に捉えるとできないですね。
「叶えるために」ではなれない。
前提が違うから。
「なる」というのは、エゴには理解できないんですよ。
理解できないからやり方をなぞるだけになる。
なったフリですね。
フリも悪くないよって書いてはいるけど、なるは魅力的なんですよね〜。

この前私も一応なるできるようになったんですけどね、なるほどな〜と思いましたね。
ほんとに「なる」以外の説明ができないので。
昔まとめ読んだときは、そのへんもすっ飛ばしてましたね…。
そして出来ないので挫折しましたね。早かったよw
エゴはうるさいし現実が変わるの待っちゃうし、なんもなれてないよw
強いて言えば「なるができない私」「叶えたくてなるしようとしてできない私」になってたなww

まとめやチケットも読み返すと以前とは違ったものが見えてくるので、なかなか面白いです。
いまは自己観察状態になったり寝起きにエゴが暴走して巻き込まれてたりしますが、まあなんか前には進んでるんじゃないかなww
よくわからんけどw

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