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余裕について

ここのところ自他共に「余裕がないなぁ」と思うことが多いので、余裕について書いておく。これからさらにクソ忙しくなって、我を忘れた時に思い出せるように。


さて。

余裕がなくなると一番最初に起こる出来事は、周りとの不調和だ。

先日、某芸人が某評論家を過ぎた弄りで憤慨させ帰らせる事件があったらしい。

その件の賛否はさておき、なぜ起きたかを考えると、余裕がなかったのかなぁと思う。

もし余裕があれば、相手を事前に知りそういう対応を嫌がる相手だと知れたかもしれないし、その場の空気で感じ取れたかもしれない。


そして、さらに余裕がなくなると、自分自身を追い込んでいく

はたまた「情報弱者の貧困層をバカにする人、搾取する人」という記事を見かけた。

余裕がなくなると、精神的に追い込まれ、冷静に判断できなくなる。考えるのも苦しくなる。本当に余裕がなくなった時、人は自分自身を追い込み続ける。

そうなってしまったら、そこから這い上がるのは大変な苦労をする。

余裕の正体

余裕を生み出すものはなにか。

逆説的に余裕がない人に欠けているものを考えてみるとわかるが、成功や名声、信頼にお金、人気などなど、余裕を産む源泉はいろいろとあると思う。

そしてその源泉を使って産まれるものが「自分の時間」だ。お金はわかりやすいが、成功、名声、信頼、人気があっても、自分に足りない何かを他の誰かが埋めてくれる。埋めてくれるものはモノであったり、目に見えない心の部分だったりする。

そうしてできた自分の時間を、余裕と呼ぶのだろう。


人種、性別、地位、が違っても、本来唯一平等に持っているはずなのに、気がついたら自分の時間を失くしていないか? 自分のものであれば自由に使って良いはずだ。

もちろんそうは言っても世間で生きている私たちに、自分のことばかりに時間を使ってはいられない。だから「余裕である」ことと、「自分の時間を作る」はイコールではない。


そこで考えついた、世間の流れに合わせ、自分の時間を作る方法は「自分のペースを守る」だ。自分の時間を使いつつ、持ちつつのバランスが一番保てているペース。

人によっては「週5フルタイムで働いて、休日はゆっくり休む」かもしれないし、「週7コアタイムだけ働く」かもしれない。「5時起き22時寝」かもしれないし、「12時起き5時寝」かもしれない。

究極的には人間のあらゆるコトモノ、価値、課題、幸せの全ては「時間」に集約されると思っている。マイペースを見つけた人だけが幸せに生きられる。


今、余裕はあるだろうか?



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