塵も積もれば山となるがそれは結局塵の山
「バズる」
すっかりなじんでしまっているこの言葉。
TwitterでたくさんRTやいいねをされたり、Youtubeで再生回数がまわったり。
たくさんの"数"を重ねたコンテンツに対して「バズった」という言い方をしますよね。
コンテンツをアウトプットする以上、そういった数を追い求める人が多いです。
どうやったらバズるか。
何をすればバズるか。
○○いいねついたとか、○○RTされたとか。
商業目的の人に留まらず、そのへんの一般人でさえもそれを気にしていたりします。
その流れがどんどん加速していっているなと感じているわけです。
「AIを使って絵を生成していることを隠したほうがいい」と言う人が現れたかと思えばイラストの制作過程を生成するAIが現れ、Youtubeでは「これやっとけばバズる!」という理由で大御所の間でカウンター動画なるものが流行り。
中身を度外視しひたすらに"数"を追い求める流れ。
良いと思っていいねを押してもらえても、画面の向こう側ではただの数字ではなく。
それを繰り返してたくさんの有象無象が生まれる。
人の好意が"ただの1"になるってなんだか寂しいなと思います。
休日に都会の街を歩いていて、人混みに揉まれながら感じる孤独感に似ています。
でもこの流れが行きつくところまで行けば、逆に価値あるものが評価されるようになるのかなと思ってたりします。
価値というと……過程であったり、背景であったり、人であったり……。
漠然とし過ぎていて言語化できませんが、ただ数だけを求めて表面だけ取り繕うようなコンテンツがデカい声出してる状態が終わればいいのになという感じです。
まあそんなことを考えている時点で、自分もこの濁流の中にいるのかもしれませんが。
自分がいいと思ったものを信じればいい話なので。
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