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あの日見た景色はたしかこんなだったはず。

太陽が沈み始め、赤黄色に揺らぐ空が、澄んだ空気の仕業なのか綺麗なのにそこはかとなく儚く、眼前に聳え立つ東京タワーはクリスマスの仕様で七色のイルミネーションで彩られていた。

高層ビルから見下ろした浜松町の街は帰宅ラッシュの時間で行き交う人で溢れており、改めて東京が大都会だということを再認識する。

なぜだか僕は、過去に嗅いだことのある空気や見た景色をその瞬間に嗅いだ空気や見た景色と重ねてしまう癖がある。

朝、玄関を出た時の匂いや、ロープウェイから見た絶景などを見ると「あ!あの時 嗅いだ/見た あの匂い/景色 と同じだ!!」となる。
雨上がりのアスファルトの匂いなどの既に名前が付いているような独特な匂いとは別のそれだ。昼下がりのベランダの匂いとかが近いかもしれない。

何人かにこんな体験をしたことがないか?と聞いたことがあるが、みんなそろって「それデジャブだよ」という。確かに、かなり近いものではあるのだが、少し違うようにも思える。簡単な一言で終わらせたくないだけなのか僕の中ではデジャブだけでは釈然としない。僕のデジャブのイメージは「あれ?これ前にも同じことしたことあるよなー」という感覚であり、僕が時たま感じるこれは【完全に一致していないのに完全に同じものとして捉えてしまうなにか】なのだ。まあもうデジャブでいい。

だけど僕はこれを【あの日の 匂い/景色 と同じだ!】と呼んでる。

AD人生最後の収録の準備中にABC朝日放送の東京支社から見たこの景色は、ちょうど3年前の僕にとって大きな衝撃が走った日の景色にとても似ていた。

ちょうど3年前の12月23日が忘れもしない日になった人は、自分の以外にもたくさんいるだろう。

僕はその日、見える世界が灰色に変わってしまう感覚を初めて経験した。

1本の電話が鳴った。夜のことだった。タムタム(両星)から軽く焦った声で

「佐藤康一と連絡が取れない」

「警察が家に来た」

「あいつ事故ったのかもしれない」

最初は内心「いやまさか〜」のテンションで聞いていたが、徐々に事故が起きたこと理解していく

レオからも電話がかかってきた

「佐藤さんの話ほんとですか?」

「嫌です!嫌です!」

それはもうわんわん泣きだった。同じくらい泣きたかったが、自分より泣いてるやつを見ると人間という生き物は落ち着けるようで、知らず知らずのうちに僕はレオ慰めモードに入っていた。

どんな事故なのか?どんな状態なのか?無事なのか?事態をまったく飲み込めないまま、留学から帰国する日奈さんを成田まで迎えにいったのを昨日のように思い出す。

その後、同じような連絡がいろんな人からきた。お別れ会をして、葬儀に参列した。大学4年なのに人望が厚かったためか、沢山の人が来ていた。佐藤の相方としまえん(河窪)や学友会という組織でペアを組んでた同期の女の子などが挨拶などをしていた。

確か、当時はその現実を受け止められなくて、いや今も完全に受け入れられた訳でもないが、そんなところいるはずもないのにの権化である路地裏の窓があるとふと顔を向けてしまう癖がついた。

今ではふら〜っと目の前に現れるんじゃないか?と思いながらADとして毎日をやり過ごしていた。もし願いを叶えるなら!?などあり得もしない超絶ビッグイベントに出会えたとしたら「佐藤康一と会いたいです!」というだろう。

だが、佐藤に実際に会えたら会えたで、「よっしゃん!もっと目的を考えて行動しろ!」とか言ってきそうだ。

もし会えたらとして、『会えた!!嘘!!嬉しい!!夢なら覚めないで!!』というよりは「お、おう、なんかそのスタンスかわらねぇな〜会えちゃうとなんか違うんだよなぁ〜そういう話をしたいわけじゃないのよ…」となる可能性は限りなく高い。

ただ、今日の浜松町からの景色を見た時、あの時とは全く違う景色のはずなのに同じに思えたのだ。でも、同じ景色のはずなのに何か違う景色だった。

その何か違うものはなんなのだろう

答えは時間だ。意外とあっさり出た。確かにあの出来事から月日だけは確実に経っていた。経っているのを痛々しいほど実感できた。

事実、この3年で僕の周りの環境はガラリと変化した。

軽く自分の3年だけを振り返ってみても、

大学の卒業

就職(ADになる)

社会人1年目(プロデューサーを目指す)

社会人2年目(ディレクターを目指す)

社会人3年目前期(構成作家を目指す)

社会人3年目後期(芸人を目指す)

今(会社を辞めて芸人になる)

と毎年よくもまぁコロコロと目指すものが変わっているが、多分どれも結局は芸人がやりたかったからなのだろう。徐々に舞台へと引き摺られていっているのがわかる。

そんな中、僕が芸人になろうとおもった最大の原因を作った男が今日、【泥水すすり隊】という特殊部隊に加入した。今日という日に泥水すすり隊に入ったのも感慨深い。

仮にその特殊部隊加入男の名前を山森とする。

山森の最初の出会いは創価大学落語研究会の新入生歓迎部会だった。

僕の記憶が正しければ、この日僕と山森と霜鳥が入部した。この日からの付き合いだが、中学高校時代の友人より大事な存在だ。そもそもでいうと中学高校時代に友人と呼べる人間があまりいなかったということもあるだろう。原因はわかっている。大分拗らせている考え方だが「あれ?僕らって友達、、、だよね?」くらいしか友人の認識の仕方を知らなかったのと、確認しない限り友達と呼べないと思っていたからだ。

そんな激ヤバ人間だった僕を初めて面白い認めてくれたのが山森だった。思うに僕は中高時代に比べたら大学でかなり面白くなった…はず。これは全部落研という環境のおかげだと思う。でもこの落研という環境を続けられたのは山森がいたからだろう。勉強を全くしなかった時も、ライブで滑り散らかした時も、就活が終わり何もすることがなくなった時も気づけば山森が手を施してくれていた。そんな大親友の一人である山森の話は長くなるのでひとまずはこんくらいにする。

そうやって3年も経てば当時では想像できなかったことや衝撃的な現実が訪れたりする。山森も佐藤も別の世界線では全く違う人生を歩んでいるのだろう。

ただ、この世界線の2人は、2人とも近くて遠い存在のように感じる僕がたまにいる。それによる孤独感などはまったくないが、さっきまで一緒にいたのにあれ?めちゃくちゃ遠くにいない?【ちょっと待ってよ!二人とも〜】状態に陥りやすい。おかげで頑張れてる自分もいる。これはそう。周りが全員自分よりモチベが低かっったらどこに焦点を当てていいかわからなくなる。だからいい。それでいい。

AD人生最後の収録が終わり、会社に戻るタクシーの車中でそんなことを考えていると、換気のために少し開いた車窓から冬の冷たい空気が優しく体を撫でている。煌々とする東京タワーを背にふと思った。

あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかな

窓をそっと開けると冬の風のにおいがした

悲しみっていつかは 消えてしまうものなのかなぁ…

タメ息は少しだけ 白く残ってすぐ消えた

悲しみ消すつもりも感傷に浸るつもりもないが、スガシカオが天才かつ今の僕の代弁者すぎて車内でちょっと泣いた。ほんのちょっとだからほぼ泣いてねーし。でもいろんな感情が入り混じったことが、3年前の景色と同じように思えた一番の理由なんだろう。

あれから3年が経った僕は3年前の僕が思い描いてた理想の形ではなかったが、悪くない人生を送っていると思う。ただこのままじゃダメなこともわかってる。

これから2年でどこまで飛躍できるかで僕の人生が変わるということを、一度かたちとして残しておく。

そして近い未来、キングオブコントやM-1などで優勝したときは「あの日見た景色はたしかこんなだったはず。」と思うだろう。

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