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日仏会館主催「『ミシェル・レリスの肖像』とその後日談」講師:千葉文夫(早稲田大学名誉教授)

2020年12月8日(火)、日仏会館主催のオンラインイベント「『ミシェル・レリスの肖像』とその後日談」講師:千葉文夫(早稲田大学名誉教授)討論者:中地義和(東京大学名誉教授)に参加した。素晴らしい講演だった。以下の質問をしたところ、鋭い質問でびっくりしたと言われた。

「フランスの蚤の市で売られていたマリ共和国の民族ドゴンの彫像を見たことがありますが、それはジャコメッティの有名な「歩く男」と瓜二つでした。ジャコメッティはアフリカの芸術の影響を受けていたと思われますが、ミシェル・レリスもアフリカでドゴンの調査をしていたということで、ジャコメッティとドゴンをレリスが媒介していたということは考えられないでしょうか?」

初めてジャコメッティ論をフランスで書いたのがレリスで、レリスとジャコメッティは1929年に知り合ってから以後ずっと親交がある。レリスの1931年から33年までのダカール=ジプチ調査団での経験。この調査団は膨大なアフリカ・コレクションを蒐集して(その一部は強奪に近いもので、今アフリカに返さないといけないという議論が起こっている)、トロカデロ民族誌学博物館(1939年に人類博物化となる)に所蔵された。それは一般に公開されていて誰でも見ることが出来たので、そこでジャコメッティがアフリカの芸術に触れた可能性はあると考えられる(レリスが具体的にジャコメッティを誘導して媒介してアフリカ芸術へ触れさせたかどうかは分からないけれども)。

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