『Gaze and Gaze』の衝撃 または私は如何にして斜に構えるのを止めて川島瑞樹を再び愛するようになったか

・この記事はスマートフォンアプリ『アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ』イベント『Gaze and Gaze』に関する感想文です。

・この感想文を読む前に『Gaze and Gaze』のコミュを読了する事を強く
 お勧めします、というか読んでいる前提で話をします。なのでよんで。

・要点を話すと下記3点です。

1.「隣に並ぶではなく、先へ行く決断をする川島瑞樹の信念の気高さ」

2.「コミュ読了前後、7thライブ前後でのMVの受け取り方の違い」

3.「川島瑞樹のPである事が意味する部分が大きく変わった」



1.「常に先を行く決意をする川島瑞樹の信念の気高さ」.

主にコミュ5の話です。

 人間って期待されると嬉しい感情もちろんありますが、期待が裏切られた時の相手が感じるガッカリは通常のそれとは段違いです、上げて落とすというやつですね。期待される側がそれに答えたいのはもちろんです。ですが常にベストを尽くせるかというと、必ずしもできないですよね、人間だし。

 巴ちゃんが川島さんを通して見た「年上の色んな美点を備えた人に憧れ、それを追い求める」姿勢はとても自然なもので、おそらく老若男女問わず、大なり小なり読む人の腑に落ちると思うんです。
 しかしそれは純粋な思いである一方、他者に求める事の重さに繋ります。巴ちゃんはそれをよく理解していて、だからこそ川島さんにそれを求めてしまう事で起きる、期待と恐れの二律背反に苦しんでしまうんです。

 それに対する川島さんの答えは、自らが常に先へ行くというものでした。その決断をするってことは、自分と一緒であることに一種の快を見出すための「理解と共感」を自らの意思で放棄しているんです。巴ちゃんにとって、真に最良の結果が得られるように。

 「あなたのためを思って言ってる」て言葉あるじゃないですか。あれって概ね「あなたのためを思って言ってる(私を立てて)」という、共感を労せず他者に求める、自分本位な言葉なんですよね。いや自分を守る事は間違ってないけど、それで他人をダシに使うのってどうなの?

 選択肢として、巴ちゃんに寄り添って、共に同じペースで歩いていく事もできたはずなんです。でもそれは巴ちゃんが真に求めるものではなくて、あくまでも巴ちゃんの事を理解して、尊重して、彼女の理想を体現する選択肢を取れる川島さんの行動を端的に表すとすれば、僕は「気高い」という言葉以外にはありません。

※「気高い」のニュアンスは英語(の元になってるフランス語)における「Nobless」です。いわゆるノブレスオブリージュと言うやつですね。「力や財産を持っている人間が自発的に他者のために行動する」と言う意味で考えてます。


2.「コミュ読了前後、7thライブ前後でのMVの受け取り方の違い」

 まず事の起こりを辿るとすると、7thライブの出演者が発表されたタイミングです。6thメットライフドーム公演と同じく、川島瑞樹役の東山奈央さんはシンデレラガールズのライブ直前は、ほぼご自身のツアーやらライブなどが入っていて、その合間を縫って参加してくれる事にただ感謝しかありませんでした。

 で、「流石に今回はソロ2曲目も消化してるし、スポット的な出演かな」と考えていましたが。しかし蓋を開けると幕張、名古屋と公演で新ユニットがサプラァーイズで追加され、各種の状況判断から「ヤバイ」という声が冬の寒さに比例するように増えていきました。

 そしてライブ当日が近くにつれて募る不安。まるで就活の面接に赴くような心持ち。微かな記憶を辿っていくと薄らかに残っている初披露の瞬間の「報われた」感。2日目の最後の挨拶で東山さんが語った、川島瑞樹概念の完全一致。この時点で色々な物をもう十分すぎるほどもらえた、と思っていました。

 で、いざイベントが始まると再びTwitter上で駆け巡る阿鼻叫喚地獄絵図。巴ちゃんのPはまだ分かるけど川島さんのPも?!ナンデ?!コワイ!

 実際にライブのMVを見てると、二人の立ち位置は並び立っていますが、視線を合わせる場面はほぼ無く、3回ほどです。『Gaze and Gaze』≒「視線と視線」という言葉にも関わらずです。プレイしていてなんとなく感じてた違和感は、コミュ5を見た後に確信へと変わりました。

※ライブが終わった後にGaze and Gazeのタイトルを改めて思い出した時に、「ビホルダー」とか「鈴木土下座衛門」の単語が出てきました。わかんない人は「ゲイザー」でググってみよう。

 閑話休題、時系列的にはユニットを組む→コミュ1~5→ライブなので、この時点で二人の関係は一度整理されています。つまり2人が見ている方向は、それぞれが納得した形で、既にと別れているんだなぁと。そして2人の意思が衝突する瞬間が、視線が交差する時なんです。

 Gaze and Gazeの前に登場したユニット「ミス・フォーチュン」による『幸せの法則』と「デア・アウローラ」の『Secret Daybreak』のユニットの密着度と比較すると、その距離感が客観的に測りやすいかと思います。前者2点の手と手を重ねるソフトタッチと、拳を付き合わせるフォーリンシーサイド、結構違いますよね。
 
 この拳を付き合わせる行為は刀の切り結びに近くて、表現としてマイルドになっているものの、そこにあるのは激情と激情のぶつかり合いなんです。

 ※僕の見てきた作品で近いものだとMCU『シビル・ウォー:キャプテンアメリカ』のキャップとトニーの殴り合いに近いですね、色も赤と青だし


3.「川島瑞樹のPである事が意味する部分が大きく変わった」

 川島さん、年齢と元アナウンサーという観点から、今までの参加ユニットにおいて場面回しを円滑に運ぶ潤滑油、ある意味「搦め手ではない、無難な活躍をする立場」が往々にして求められてきました。第1回シンデレラガール総選挙の順位、中の人のお仕事の関係、その他諸々の大人の事情を鑑みて、それ以上を望むべきだろうか、というある種の諦観と納得、拗せとも取れる斜に構える姿勢が入り混じったビターな感情を僕は覚えていました。

 今回も川島さんは今までと同じく、巴ちゃんの手を取って導いていくのかなーと思っていました。と思っていたら彼女が取った行動はおそらく全ての川島瑞樹Pが殆ど予想しなかった「突き放し」「先へ行き」「孤高を貫く」行為でした。この相手を寄せ付けない孤独な振る舞いって、かつて楓さんがシンデレラガールへたどり着くまでに、周囲の環境によって発生したムーブメントに良く似ているんですよね。

 僕は楓さんに対する解像度は高くないんですけど、かつて「ラスボス」「無冠の女王」とまで言われた楓さんは、意図せずしてこのムーブメントにより完全無欠の神話の人物かのように振る舞わざるを得なかったんですが、それが結果として彼女の神性に多くの人が惹きつけられ、6代目シンデレラガールに登りつめたのだと思います。

 楓さんの場合シンデレラガールになって以降は、その神性が剥がれていくようで『こいかぜ-花葉-』から『Blessing』への曲の移ろいは、長い年月を経て、神が1人の人間にようやく戻ったんだなぁと感じました。

 今回のイベントでありありと見せつけられた、川島瑞樹の中に残っている燃えさしが、かつてシンデレラガールが持っていた「神性」に繋がる可能性を見せられて、僕が今までその可能性を遮っていたのか、とも感じました。そう思うと今まで僕が貫いてきたプロデュースのスタイルとしては、少し「もったいなかった」のかなーと。

 川島瑞樹のPであると言う事が、追われる者を意味するのであれば、それに応えてより速く突き抜けて行ければ、それはそれでとてもいい刺激になるんです。あと「オラすっげぇワクワクしてきたぞ」という、戦闘狂的思考の免罪符にもなる。

 プロデュースの方法や入れ込み具合は人それぞれですが、これから先に僕が川島さんと一緒に見る光景は、今までの7年とは違うものになるかもしれません。それは燃え盛る火を間近で見るような、恐ろしさと美しさが同時に存在して、またワクワクするような光景…かもしれない。


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