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人を助けるという事について考えてみる

今回は人を助けるという事について自分なりに考えて書いてみることにしました。
なぜ今回そのようなテーマを扱おうかと思ったかと言うと、今までの人生の中で助けるという事についてそこまで意識していなかったのかもしれないな…本当にすべてを助けることがその方々にとって長い目で見た時のプラスになっているのだろうか。。
そう考えたりするようになったのがこのテーマを考えるに至ったきっかけです。

僕はこの人生の中で人を助けるというよりも、誰かに助けてもらう方が多かったんじゃないかなと思います。
ゲームの中では人助けとかは好きで率先してやるのですが、それ以外の人生で出会った人たちについて人を助けるという事をしてきたかと言うとあんまり自信はありません。
そんな僕が助けられてきたことについての例について話していこうかと思います。

時間をさかのぼるに僕が高校の時代、正直な話勉強が得意な方ではなかったので、それはもう…進級できるかできないかの瀬戸際にいたぐらいの出来でした(笑
そんな進級できるかできないかと言う瀬戸際の中でも当時の僕はのんきなものでした。
とにかく興味があることしかやらないため、興味ないことはあんまりやりたくない感じだったんですね。(これはどなたでもそうではあると思うんですが…笑
そんな僕を救ってくれたのはやはり今もなを交流がある友人でした。
当時「これをやってきたらあげてやろう」とか「ここが試験に出るから覚えてきてね」と先生に言われるにもかかわらず、僕はやる気0状態でした。
そんな中背中を押してくれて、一緒に追試勉強や課題に友人が付き合ってくれたのを覚えています。
そのことについては感謝が絶えないぐらいです。
数人で勉強できる個室が学区内設けられていて、その場所で追試に出る試験範囲について一緒にやっていた記憶があります。
その友人たちの助力あって僕は無事に進級ができました(笑
確かにこの時背中を押してくれたのは友人だったのですが、最後の最後は自分で覚えることを自分でやっていたんだと思います。
ここで何が言いたいのかと言うと、背中を押してくれたり一緒に前に進めるきっかけを作ってくれる。。そこまでは友人が助力できる事なのですが、それ以上の試験を受けるや課題をこなすという事に関してはその人自身が自分で前に進まなければならないという事。
そして、自分自身でその課題や物事を乗り越えた先には、新たに新しくなった自分が待っているという事。
すなわちこれを成長するという事なんじゃないかと自分の中ではとらえています。

ここまでは僕の経験から人を助ける事を友人に例えて語ってきたのですが、ここからもう一つの例を挙げていこうかと思います。
それは幼少期から子供時代に向けてのお話になるのですが、僕はと言うと恵みに恵まれた環境で育ってきました。
家が大きいとか家に資産があると言う金銭的な恵まれ方ではなく、大勢の人が良い人達の中でのびのびと幼少期を過ごせたように思います。
例えばなんですが、僕の両親は僕に関する大体の事をしてくれていました。
ご飯も共働きながら確実に用意してくれていましたし、母の方は働く時間を僕ら兄弟(2人)が学校から帰って遊んで帰ってくる時間ちょうどぐらいに調整してくれていたので、遊んで家に帰ったらすでに母が待ち受けてくれている状態でした。
父の方も家にきちんと給料の方を入れてくれていましたし、たまに休みの日にキャンプとか言っていた覚えがあります。
父母ともに今現在も僕は助けられている感がありますし、感謝が絶えないぐらいです。
と両親に関する感謝の気持ちばかりになってしまったのですが、何を伝えたかったというと。。
すごくよくしてくれる両親で僕が何かしなくても、すべて大体の事がどうにかなっていた感じなんです。
これは両親の事を悪く言っているようにも聞こえるのかもしれないですが、むしろそのことについては感謝していますし、両親の事を責めているわけではありません。
ですがあまりにもすべてこなしてくれていたため、僕が自発的に問題を解決しにいったり自分ひとりの力で何かをなすことに対しての力が弱くなりすぎていた感はあります。
全ての事を両親がやっていてくれていたため、いやそのおかげでのびのび過ごせたのは良いことなのですが、自分で考えて自分で行動すると言う生きる上で欠かせないことを僕自身がおろそかにしすぎていたんじゃないかと思います。
そう、僕がここで伝えたかったのが全ての相手の課題をこなし解決するという事は後のその人の人生においてはプラスになりえないんじゃないかなと思うってことなのです。
前述したとおりに、どこまで相手を助けてどこまでをその人自身の課題として切り分けるか……ここが大切なんじゃないかなと思います。

誰かを助けるという事は、誰かの学びの機会を奪っている可能性があるという事、それを今回記事にして伝えたかったのです。

僕はゲーム昔から好きでよくゲームの物語の中で問題を抱えている人たちを助けるクエストなんかが好きなのですが、その中に例えてもう一つ例を書いていこうかと思います。
今からお話しするゲームのシステムは自分が物語の主人公になり、クエストをどう考えクエストを解決していくのかと言うことをプレイヤー本人にゆだねられている形のゲームです。
なのでその時々で選択肢が出てきて意思決定していく形です。

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そのクエストはと言うと、商売で一旗揚げてやろうと活気ある街にやってきた一人の新人貴族のお話です。
彼は所謂貴族の出身者なのですが実力不足のためか、のちの後継ぎとしての候補からは外されていました。
そこで彼は一旗揚げて自分の実力を示そうと新興街にやってきてビジネスの話を進めていくのですが、この彼がまた適当な男でして。。
新しく取引先を見つけれたのはいいのですが、その取引の材料である商材を一晩遊んでスッたギャンブル返済のためにあててしまっていたのです。
そこで主人公である僕自身が取引先の商人から、どうも取引相手の貴族が返ってこない…あてにはしてないが探してきてくれと。。
そういう流れでこのポンコツ貴族を探しに行く感じのクエストでした。
そしてクエストを進めていくにあたってこのポンコツ貴族を探しだしたのですが、探し出したときは緊迫した状態でした。
なんとそのポンコツ貴族は今にも暗殺されそうな状態でした。
どうにもその襲撃してきた輩(ゴロツキ)に話を聞くに商人間の取引のトラブルから、彼は暗殺対象になっていたとかなんとか。。
ちょっとこの辺りはあいまいであんまり覚えてないのですが、要するに金銭面でのトラブルの結果彼はその制裁を受ける羽目に陥っていたわけなんだと思います。
確かでうろ覚えなのですが選択肢が複数あった気がします

1:ごろつきと戦って全員やっつけて彼を助ける
2:ごろつきと和解してどうにか引いてもらう(説得スキルがある場合
3:そのまま制裁を貴族に受けさせる
4:貴族の代わりに自分がお金を肩代わりしすべてチャラにする

この4つあたりだったと思います間違っていたら申し訳ない;(笑
この選択で僕が選んだものが、2の説得してごろつきに引いてもらうでした
なぜこれを選んだかと言うと、ごろつきと言えぞ流血沙汰をなるべく避けて通りたいプレイスタイルでプレイしていましたし、戦わずして事が収まるならその方がいいかと思ったからです。
ごろつきに説得で引いてもらった後、お金もチャラにして全額払ってあげることはできた気がしますが、そこまではあえてしませんでした。
ここでもし彼がギャンブルでスったお金を僕が払ってしまうと、おそらくまた彼は同じ過ちを繰り返すんじゃないかと思ったからです。
彼の命を救うという手助けだけはして、その後のお金に関する課題は彼に任せる。そして彼が新たにその過ちから学び彼にとってもプラスに成長する。
これが僕が考える最善の手助けなのではと思ったからです。
いやまぁ…確かにゲームのキャラクターの事なのでそこまで考える必要はないと言われればそれまでなのですが、このゲームのクエストがいい例になるのではと話を切り出した感じです(笑

お話が長くなってしまったのですが、僕が考える手助けの最善は助ける相手に寄り添い話を聞く又は背中を後押しし、その後はその課題の本人に任せる。
これがいいんじゃないかなと個人的には思います。
長くなってしまったのですが、最後まで読んでくれた方がいたのならありがたい限りです。
また何か思いついたら書いていこうと思うので、暇だったら読んでみてください(笑 ではでは~


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