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クロフネの死を悼んで


ディープインパクトとキングカメハメハが相次いで亡くなってから約1年半、この2頭の活躍により盤石な物となった金子ブランドの礎を築いた名馬がこの世を去って4週間が経った。クロフネを語る上でダート転向後の圧倒的なパフォーマンスはもちろん外せない。しかし私の中でクロフネは砂の怪物と言うよりは「あの2001年クラシック世代」であることのほうが強く印象に残っている。アグネスタキオンが、ジャングルポケットが、ダンツフレームが、マンハッタンカフェが、そしてクロフネが駆け抜けたあのクラシックロードを私は生涯忘れないだろうと思う。

今から20年前のクラシック戦線、ボーンキングを応援していた私はまだ14歳だった。当時は競馬が生活の中心というかもはや全てだったわけであり、それによっていくらか記憶が改ざんされている可能性は否めないが、それでもやはりあの高揚感は今でもよく覚えている。レコードを連発し怪物と目されたクロフネ、それを一蹴したアグネスタキオン、個性派ジャングルポケットと対照的な堅実派ダンツフレーム、それに素質の塊ミスキャストなど豪華で魅力的なメンバー構成だった。所謂御三家サンデーサイレンス、ブライアンズタイム、トニービンそれぞれに有力産駒がおり、それに文字通り海外で生産された刺客クロフネ。うん、やっぱり今振り返ってもすごい年だった。

ただ改めてこの年のクラシック戦績を振り返った時に少なくとも結果から見ればクロフネは決して主役ではない。そう、私のこの馬の印象は怪物と言うよりは挫折から這い上がった努力家なのである。デビュー戦も勝ってはおらず圧倒的に人気に推されたラジオたんぱ杯では連にも絡めずに完敗、ダービーでも掲示板がやっとだった。でもクロフネはその度に強くなった。デビュー戦を敗れたあとはレコードを叩きだし連勝、明けて3歳になってからは毎日杯、マイルカップで衝撃のパフォーマンス、ダービーで初めて馬券内を外し秋天の出走も叶わないとなればダートに転じて歴史に残る爆走劇。まるで日本刀のように叩かれて叩かれて本物になっていった。

クロフネを取り巻く環境も決して超エリートと言うわけではなく、今でこそ押しも押される大馬主となった金子オーナーは当時やっとランキングトップ10に名を連ね始めたばかり、後に2頭のダービー馬を手掛ける松田国英トレーナーはクロフネのマイルカップが初G1だった。クロフネ自身の雑草魂と気鋭の関係者たちという構図からもわかるようにクロフネはどこまで行っても開拓者だったと私は解釈している。だからこそ開拓の途中で志半ばに競争生活が終焉を迎えたことが本当に残念でならない。もうこの先負けることはないんじゃないか、しかもそれが長い間続くのではないか。そういう感情を抱かせたまま競争生活に別れを告げる馬はそう多くないが、クロフネは間違いなくその中に入るだろう。

だが、クロフネはもう1度復活した。そう、父としてである。遺したG1ウイナーは実に8頭、サイヤーランキングトップ10に入ること11回。偉大な種牡馬として実に多くの産駒を残してくれた。初年度からビッグタイトルを父に贈ったフサイチリシャールに始まり、父を思わせるG1での大差勝ちを記録したアップトゥデイト、スプリント戦線で一時代を築いたスリープレスナイトにカレンチャンなど挙げればきりがない。G1には手が届かなかったが強烈なインパクトを残し最高傑作の呼び声も高いフラムドパシオンやダート中距離であっさり突き放す姿は父を思わせたテイエムジンソク、あと個人的にはフォンターナリーリも大好きだった。

最期にソダシを遺したあたりがやっぱりクロフネのスター性なのかなとも思うけれど、やはり私にとってクロフネは挫折と栄光を繰り返した努力家だった。成功の裏側にあったほろ苦さも忘れてほしくない。天国でスイートゥンビターに会えていますように。シゲルシダチにも再会出来ていますように。

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