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さよなら、フィエールマン~誇り高き気高さよ永遠に~


シルクジャスティスの末脚がさく裂した~というアナウンサーの興奮した実況を私は今でもよく覚えている。時は今から23年前の有馬記念。

エアグルーヴとマーベスラサンデーという「人気2頭の壮絶な叩き合いに外からシルクの勝負服が飛んでくる」という構図は昨年の有馬記念と酷似している。その23年前のレースはおそらく私が初めて観た有馬記念だった。当時負けてなお強しなどという言葉を知る由もなかった小学生だった私だが、いつかの間にか記憶は塗り替えられ1997年の有馬記念で見せたエアグルーヴのレースぶりこそが私がこれまで観た最も納得のいく負けてなお強しとなっている。

そんな記憶を久々に揺るがせたのが昨年の有馬記念でのフィエールマンだった。一昨年のレースぶりが記憶に残っていたこともあるが、外枠からやや強引な進出を仕掛けての早め先頭、目標にされることを厭わず受けて立った姿は実に勇ましいものだった。惜しくもこのレースでは3着に敗れたものの春の天皇賞連覇などの戦績は高く評価され、最優秀4歳以上牡馬のタイトルも手にしたフィエールマンであったが残念ながら繋靭帯炎を発症しこの度引退する運びとなった。今後はブリーダーズスタリオンステーションにて種牡馬入りすることとなるが、改めてこの馬の競走馬生活を振り返って行きたい。

G1を制すこと3回、そのすべてが淀の長距離戦ではあったが一昨年の有馬記念で2着と差のない4着に敗れたのが国内での最低着順という戦績が示す通り距離や競馬場を選ばず常に高い能力を示して見せた。王者でありながら異端児でもあったフィエールマンはキャリア4戦目で菊花賞を制覇、そしてキャリア6戦目で春の天皇賞を制覇という2つの最速記録をも保持している。おそらくどちらも当分破られない記録となっていくだろう。

では、そんなフィエールマンの生涯ベストレースを敢えて決めるとしたらどれになるだろうか?非常に難しい問いではあるが私は昨年の秋の天皇賞を選びたいと思う。久々の中距離戦となったことも影響したか、あるいはテン乗りの鞍上の選択だったか随分と後方からレースを進めたフィエールマンは残り400でもほぼ最後方、しかしそこから怒涛の追い上げを見せ年度代表馬に選ばれることとなるアーモンドアイと、同じく特別賞を受賞することとなるクロノジェネシスに割って入る2番手まで追い上げてみせた。惜しくも勝つことは出来なかったが、熱発回避明けだったこと、中距離でも何ら問題なく実力を発揮できると証明したこと、デビュー戦以来約3年ぶりとなりまたもはやアーモンドアイの庭と化していた府中でも力強さをいかんなく見せつけたことなどが非常に印象に残っている。

もちろん浅いキャリアで大レースを制したことも、その着差がハナ、クビ、ハナと接戦を制し続けたことも、凱旋門賞遠征では挫折を味わったことも思い出深いが、やはりフィエールマンのキャリアを振り返った時に1番強く感じることは強い牝馬と唯一対等に渡り合ったということだ。以前の記事でも書いたがとにかく今は牝馬が強い。これだけ牡馬がバッタバッタとなぎ倒されていく中でも該当馬なしではなく、きちんと古馬牡馬として表彰を受けた事もフィエールマンの底力をしっかりと証明しているようにも感じる。

23年の時を経て飛ぶ鳥を落とす勢いのフランス人ジョッキーに導かれた名馬は冬枯れの中山で勇敢に直線入口先頭に立ち堂々と後続を迎え撃った。追い上げる1番人気馬とのマッチレースはまるで永遠に続くかのように激しく、しかしその刹那水色の勝負服が大外を急追した。最内で最後まで食い下がった2頭は共にコンマ1秒差の3着に敗れたものの観た者に強い印象と感動を残した。あの頃牡馬に挑み続け唯一対等に渡り合っていたエアグルーヴのことが私は大好きだった、そして去年は吹き荒れる牝馬旋風の中牡馬の矜持を見せ続けたフィエールマンを私は心から応援していた。時代に抗って挑み続けた2頭は記録と同時に、あるいはそれ以上に記憶に残っていくことだろう。

しかしそれならフィエールマンのベストレースは結果ラストランとなった有馬記念で良いのでは?

この2頭の物語には続きと言うか前日談がある。私はエアグルーヴのベストレースは同年のジャパンカップだと思っている。ピルサドスキーに内を掬われた後も追いすがり迫ったところがゴールだった。もう少しタイトに乗っていれば、あるいはもう少しタイキフォーチュンが頑張ってくれていればエアグルーヴは勝っていたかもしれない。同じくフィエールマンの秋の天皇賞ももう少し位置が取れていれば、あるいはもう少しダノンプレミアムがペースを上げてくればいれば勝っていたかもしれない。エアグルーヴもフィエールマンも府中の大舞台で力を見せながらも偉大な名馬を相手に悔いの残る敗戦を喫した。そして雪辱を期した中山へと舞台は移り奇しくも共に乗り替わり、リベンジを果たしたい相手も不在で正直あの時のペリエ騎手もこの間のルメール騎手も少々気負っていたように私は感じた。でも、その気負いが感じ取れるレースぶりになったからこそあんなにかっこよかったんだろうなとも思う。死力を尽くして歴史的名馬を追い詰めたベストレースと、受けて立って展開のあやに屈した記憶に残るレースというところだろうか。

もちろんこの文章の主役はあくまでフィエールマンなので、彼の話に戻して締めくくりたい。兄弟の名を見てみればルヴォワールーミモザ賞でオークス本命を心に決めたのだがーやルーツドーツの名が並び母リュヌドールがいかに高い素質の持ち主を次々に世に送り出しているかがすぐにわかる。ただ同時になかなかその素質を生かし切るだけの丈夫さが無いことも伺い知れる。この一族であるフィエールマンが海外遠征をして、5歳いっぱいまで元気に走り続け、G1を3つも制するという軌跡をたどった事自体が奇跡なのではないだろうか。競争生活で思い残したことは1つ先輩の菊花賞馬である文字通りのキセキに託してフィエールマンからは元気な産駒が誕生することを期待してやまない。きっと多くの競馬ファンとシャケトラがそれを待っている。その名が示す通り気高く、勇ましく矜持を見せ続けた平成最後のG1馬よ永遠に。

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