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まだ悔しいって感じることで安心した

先日、後輩で自分の後ろを歩いてるって思ってたwebデザイナーが独立して”イラストレーター”に転身していた。

しかも、もはやみんながみたことあるレベルのイラストを書いてる。
JRとか東京メトロとかもういろんなところに彼のイラストがあり、完全に自分の手が届かないくらい前に進んでた。

正直、嬉しいって感情はなかった。

悔しい。以外の感情はない。


その昔、上京した頃、東京で絶対に敵わないと思った天才を二人見た。
その二人と間近に仕事をすることで、自分の得意分野をずらして、クリエイティブを一つの手段だと考えるようになった。

そうしてクリエイティブに真正面から立ち向かうことをやめた。クリエイティブを軸足にしながらも、いろんな武器を身につけて今まで戦ってきた。


そうすることで自分はユニークな存在にもなれたし、戦いに立つことはできてた。

だけど、諦めた、または逃げた自分にも負い目を感じていた。

だが、彼はどうか、彼も軸をwebデザインからイラストに移すことはしているものの、クリエイティブと真正面に対峙している。

そして、デザイナーとしてではなく、アーティストとして生きている。アートを全面に押し出して評価されてる。


完全に負けた。
自分がいきたかった道で成功してた。

こういう時って応援したいとか思うかもだけど、実際彼に限ってはめちゃくちゃ悔しかった。

負けたって自覚したからだと思う。
クリエイティブ一本で戦えなかったので、ズラす戦法をとってきた。

だけど彼は一本でやり遂げた。
完敗である。

ただ、悔しいって感覚があるということは、自分もまだ諦めてないってことだろうな。

なので、アートワークを作ろう。インプットを疎かにしてる自覚がある。

ただ単に好きなものを排泄するようにしたい。
アーティストのアウトプットは排泄である。

頼まれなくても、それをしないと具合が悪くなるのだ。
絶対にその人にとってやらなければいけない生理現象みたいなもん。

世界の片隅でクソを垂らしてやる

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