そもそも、プロが作ったものをみんな求めているのか。
最近これについてよく考える。
そもそも、プロが作ったものを誰でも求めているのか。
みんな、プロが作った洗練されたものを手に入れたいか
これ。
めっちゃ大前提を疑ってる。
ぼんやり考えてた時に、ちょうどそのタイミングがやってきた。
妻のロゴがよかった
最近、死ぬほど忙しい。
理由は、朝は生徒のコーディングの添削を頑張り、昼間は妻が新しくオープンする『ヴィーガン焼き菓子のお店』のために、大工仕事をがんばり、夜中は受託制作と新規プロジェクトや見積もりをがんばってる。
控えめにいって近年まれにみるがんばりっぷり。
がんばってる時は、『俺、がんばってます』って言わないと、メンタルがぶっ壊れるので、言わせてくれ。
俺がんばってる。
で、本題はここから。
妻の店舗にロゴが必要。そこで、イメージを僕に共有するように、宿題を出した。僕がデザインをするためにね。
だけど、妻が直感的に手書きで書いたロゴがめっちゃよかったねん。
どう具体的によかったかというと、
・コンセプトが一つのビジュアルになってる
・わかりやす過ぎない魅力があり、見る側の解釈の余地を残している
・ロゴタイプとシンボルマークのバランスがいい
・初見で覚える
・競合とかぶってない
・僕には絶対に作れないデザイン(NEW!!!!)
ってところである。もちろん妻はデザインの素人。
なぜ僕には作れないか
自分がロゴをデザインするなら、ロジックを固めて、モチーフを考えて、まずはグリットを引いてサンプルをいっぱい探して、ベンチマークを決めて、キーワードとかカラーとか、とにかく色々参考資料を引っ張り出してくる。
というか、ほっとんどのプロのデザイナーの工程がこれである。
デザイナーは無闇にひらめきを使わない。
それぞれに経験から凝り固めたプロセスがあり、ある程度『定石』のようなものを経験的に持っている。
ただ、妻のプロセスはこうだ。
『こんな感じ!!』
一筆書きでくるくるー!どーーーーーん!!って流れだ。
僕にイメージを伝えるために書いた、ぼんやりしたラフスケッチに、岡本太郎感が溢れた天才の片鱗。
これにはかなり驚いた。
そこで、これをそのまま、デザイナーの定石に当てはめないまま、
要するに生のまんま出してみたいと思ってる。
このロゴのいく末に興味があってたまらない。
デザイナーが凡人のクリエイティビティを殺してないか
素人が一生懸命作って、SNSで手作りのプロダクトを宣伝しているのをよくみる。
彼ら、彼女らは自らのコンプレックスを原体験 / 源泉とし、人のためになるアイデアを形にしてる。
自らが考案しOEMに足を運んで、一生懸命SNSで発信してる。
こんな素人が作ったプロダクトを一度手に取ってみたいと思わないか?
僕は思う。
製品がいいとか悪いとか、スペックのことはもう比較することもなく、
ただ、単純に感情的に『触れてみたい』って思う。
荒削りだけど一生懸命な人の声を、プロが綺麗に整形していないか。
整形されたものが美しいと定義してしまってないか。
手に取るシーンによって、三つ星シェフはおかんの愛情たっぷりの味噌汁に負けるってことは、往々にして起こりうる。
ほな
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