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能登視察のおはなし

一昨日の朝 出発した能登視察が終わった。
七尾港、輪島港、飯田港、小木港、穴水港、宇出津港、和倉港、黒島漁港。いくつかの港、海岸、空港を2日間かけて回った。
初めて見る「被災地」は想像と全然違かった。

私が小学6年生の3月、東日本大震災が発生した。新潟市内もゆったりとした揺れが数分間続き、子供ながらに、なんとなく異常事態だと悟ったのを覚えている。
あれから、好きなロックバンドを通じて様々な復興の活動を見てきた。その影響で「将来は災害復旧や復興に関われる仕事をしたい」と、中学生の頃から薄っすら考えていた。

そして今、まさにそれが叶っている。叶っていると言うと明るいものに聞こえる気がして少し違和感はあるけど、想いが叶ったのは事実。
私は今、北陸の港湾の設計担当をしている。今回の能登半島地震はまさに北陸の港湾が大きな被害を受けた。私たちの出番だった。

災害なんて起きないのが一番だけど、いつか必ず起こってしまうのであれば、その時に何かできる人間でいたい。10年以上ふわっと持ち続けてきた想いが、一つ形になった。

写真で見た景色より遥かに残酷な景色だった。あの地震さえなければ。そう思わずにはいられないほど、たくさんの生活があった。あの日に全ての生活が壊されたんだと思っていたあの場所に、何とか残り続けた生活がしっかりとあった。いろんなものが容易に想像できる分、苦しかった。

「がんばろう能登 全国からありがとう」
そんな横断幕を見て、涙を堪えた。正直、私たちだってそれなりにしんどい思いをして現地に行っている。早朝から何時間もかけて現地に入るのは思ったよりしんどかった。ただ、そんなの現地にいる方々の苦しさとは比にならない。そんなことは勿論わかっている。だからこそ、「ありがとう」の言葉にとても救われた。私たちがもっともっともっと頑張らなきゃいけない。改めて気付かせてもらった。
こちらこそ、本当にありがとうございました。

ともに、頑張りましょう。
応援してます!とか頑張って!とかそんな話じゃなくて、ともに、ともに頑張りましょう。

何が何でも明るい未来を。

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