消費者金融からお金借りた話 3
つづきです。
目を覚まし枕元にある時計に目をやると7時だった。私がこんなにもはやく起きるなんてある特定の日だけだ。
パチスロを打ちにいく日。
抑えきれない高揚感のまま朝食をとったりシャワーを浴びたりしていると友人から電話。
友人はこれからも登場するのでより現実味を出すために渡辺(仮名)とする。
渡辺が家まで迎えにきたそうだ。
今日は平日で両親ともに仕事へとでているので部屋へ招き入れた。
「おいっす。絶好のパチスロ日和だな!」
と渡辺。
確かに外は快晴であるが、室内で行うパチスロにはまったくもって関係はない。渡辺はお気楽なやつなのである。
「そうそう。お金渡しておくよ。また給料日に返すか勝ったら返してくれればいいよ。」
と私は三枚の紙幣を受けとる。もちろん日本の紙幣で一番価値が高い紙幣である。
高校の時、部活帰りにジュースが飲みたかった私は同級生から120円を借りた。
だけど今はパチスロが打ちたいから友人から3万円を借りた。
大学から先はこういった金銭の貸し借りの額がおおきくなっていくと私は思う。それは大人になっていっているという証でもあるのだろう。使用用途はなんであれ高校生ができるようなことに対して大人ができるようなことは必要な金額が違う。
「そろそろ時間もあれだし出ようか。」
私たちは家をでてパチンコ屋へとむかった。
ここで詳しくどの台でいくら使って、何枚ほどでて、そこから台を変えまた何枚でたということをダラダラ書いても仕方がない。
結果を言うと12万円勝った。
渡辺は5万ほど負けていた。
昨日まではまったく財布にお金が入っていなかったのに1日で財布には15万円入っている。
帰りにラーメンを食べに行った。
ラーメンがくるまでの間渡辺はうなだれていた。
そこで私は借りていた3万円を渡辺に返した。
手に取った渡辺はこころなしか機嫌がなおったかのように見えた。
パチスロで5万負けたが貸していた3万が返ってきて、実質的には5万マイナスなのに3万が手元にあるという事実が負けたことをすこし中和したのであろう。
お金をもつ上でこのようなことがおこりうるから怖い。
お金というのは公平なものである。
例えば家もなく仕方なく外で生活をしなければいけなくなってしまった人がいるとしよう。
明日が不安で押し潰されそうなとき、なけなしのお金で勝った宝くじが一等だった。
そこからその人の生活が180度かわることまちがいない。
逆に、裕福な生活を送っている人がいるとしよう。
大きな家に住み、高級な車に乗って会社へ行き、仕事がおわれば少しリッチな居酒屋で晩酌をする。
次の日、会社へ向かうと一枚の張り紙があった。
「倒産しました。」
いきなり質素な生活になるわけではないが今まで送っていた生活水準は下がるであろう。
少し飛躍しすぎた例えであるが、お金というのは持っていればそれに見合ったものができるし、買える。
誰が持っていてもそうである。そういう意味では公平なものであると言える。
しかし、だからこそお金の魔力にとりつかれてはいけない。
渡辺は手元にある3万のせいで、5万負けたという事実が見えなくなっていた。
そこから彼の機嫌が上向きになっていく。
「お前かなり勝ったな!ごちそうさま。笑」
などと調子がいい。
ま、一緒に会計を済ました私はもっと調子がよかった。
初めて高額なお金を借りた日。返したとは言えこの日を境に私の中にある金銭の貸し借りに対する価値観がかわった。
またそれは手元に残った12万の魔力でもあるのであろうか。
そして12万もの大金が1日で手にはいるパチスロ。
ここから私の人生は一気に凋落していくこととなる。
つづきます。