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#4 涙は急に流せない

前回の記事で答えた質問の1つに

今まで自分自身が流した涙と、人に流させた涙、どちらか多いと思いますか?

というものがあったが、その質問への回答から金井さんが1つ記事を書いてました。

こちらの記事にも書かれているが、質問への回答結果としては

流した涙の量>流させた涙の量
おおよそ9割の人が、人に流させた涙よりも、自分の流した涙の方が多いと思っています。

とのこと。

それが正しいとか間違っているとか言うつもりは全くなくて、その質問に答えた時や上で引用させて頂いた回答編を読んで感じたことを自分なりに書いてみようと思う。

「流させた涙の方が多い」と考えた理由

ということで、自分は少数派だったわけだが、前回の記事には考えた理由として、

人を泣かせてきた自信がある訳ではなく(本当かどうかは別として)、
自分が悲しいとか感動したって思っても、泣きたいって思ってもなかなか泣けないから。

と書いた。

思い返すと小さい頃はどちらかと言えば泣き虫の方で、人一倍涙を流していたと思う。
ただ、いつからか泣くことを我慢するようになっていた。
そして、気づいたら悲しいときや辛いとき、感動して泣きたいって思った時に泣こうと思っても簡単には泣けなくなっていた。

泣きたくても泣けないというのは思いの外辛いことだった。
空気が読めないというプレッシャーをひしひしと感じる。
そして心理学か何かの話でも聞いたが、「泣くという行為そのものがストレスを発散する行為になる」らしく、ストレスを発散したいと思っても発散できずに溜まっていく一方になる。

去年の話だが今まで経験したことない様々な辛いことや大きなストレスがあって、これまでになく心がポッキリと折れて心底辛くて泣きたいのに実際は泣けない、というのを経験したのだが、これが本当に苦しく辛かった。

…とここまでは去年に考えたのだが、今回の質問を機にその背景を少し深掘りしてみた。

世の中には泣いたら心配してくれたり慰めてくれる人も多くいるとは思うけど、
泣いても気にかけている余裕がなくて面倒に思う人や、むしろ泣けば泣くほど面白がって行いをエスカレートする人も中にはいる。

自分は小さい頃にそういうエスカレートするようなことに巻き込まれた経験があって、
加えて両親や祖父母に「男の子なんだから、お兄ちゃんなんだから」という理由で泣くことを諫められたことも多くあった。
自分が泣いても事態は改善どころか悪化するし味方と思っていた両親や祖父母にすがっても諌められるのに、女の子や弟が泣くと周囲の人がすぐ心配をしている。

今となっては理解できるし仕方ないとも思えるが、当時の自分は
「自分は泣いてアピールしても心配してもらえないんだったら無駄なんだ。それに泣くことで余計にひどい目に遭うなら泣くのは我慢した方が得じゃないか。」
と感じてそれが刷り込まれていった。
その結果、泣きたいほど感情が動いても実際にことを我慢する習慣ができあがったのだと思う。

そこまで考えたけど、時と場所を選ぶ必要はあるけど、やっぱり辛いときは素直に感情を吐き出せるような人間になりたい。

どんなに仲が良くても気が合っても他人の気持ちを100%理解するなんて不可能だと思う。
だから、感情を素直に吐き出せる方が他人とは良い関係が作れる、全部察してくれと期待するなんて身勝手もいいとこだ、と考えている。

涙活ってのがあるって聞いたから、状況落ち着いたら行ってみようかな。

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