流産のことをぐちぐちと

赤ちゃんが流れてから、妊娠中に出来なかったこと沢山して。お酒もいっぱいのんで
それでも妊娠中が幸せすぎて
私滅茶苦茶に悲しいってことに気づいた。
悲しくて悲しくて仕方がないけど次の妊娠に影響あったら嫌だからもう安定剤とか飲みたくなくて。
睡眠薬飲んでも寝れなくて、滅茶苦茶悲しいのに出来ることがなくて辛い

夫は浮気はしたけど
子どもができて結婚するって決まったら本当に人が変わったように優しくなったし、大切にしてくれてるって思えるようになった。
だからこそ夫との子どもが流れたのが滅茶苦茶悲しい。

あんまり人に弱音とか言えないから、今までお酒飲んで適当に流れちゃったんだよねとか言ってたら、そんなに悲しくないって思ってた。
自分の体も貧血とか子宮収縮とかでそっちに意識がいってた。
けど、時間がたって本当は滅茶苦茶悲しいってことに気づいちゃった。

虐待とか流産とかそういう本を読み漁った。不安にもなるし、楽にもなる。

子どもが流れても法律婚して結婚パーティーすることになった。それで本当にいいのかと思っている自分がいる。

自分がまた流産するとか子どもができないとかそういうことがすごく怖い。妊娠中が幸せすぎて「出来たらラッキー」が「絶対ほしい」になってしまった。

夫は流産を悲しんで初めて泣いているのをみたけど、やっぱり私よりはダメージも少ない。
稽留流産からの自然排出からの流産手術で一リットルぐらい出血したけどフィジカルが強すぎて数値的には貧血になってなくて入院も1日だけで夫に軽く見られている気がする。


夫は私のお腹のなかにあった胎芽を無機物といった。
死産届けは12週以前であれば出さなくてもいいので、お腹の中の赤ちゃんは産まれてもいなかったし、死んでもいなかった。
でもそうしたらあの母子手帳はどうなるんだろう。妊娠届けはどうなるんだろう。妊婦健診のクーポンはどうなるんだろう。
理性では胎芽に気持ちや人格はなく、私は子を失った訳ではなくただ、子に育つはずだった胎芽がダメになってしまって流産しただけっていうのはわかっている。
でも、私はエコーで胎芽の心拍が動いている様子も見たし、胎芽のための血液が自分の中で作られているのを実感していた。
理性とかそういう問題じゃなくて私のお腹の中には私と夫の子どもがいた。
実家の父は子の命日を知りたがり、命日なんていつかわからないのに結局子の成長が止まったであろう8w6dを命日に設定してお葬式をしてくれた。
実家の寺を疎ましくと思うと同時に、とてもありがたいとも思った。
きっと両親は当分月命日にちゃんと供養をしてくれて、1周忌とかもやるんだと思う。そういう人たちだ。
とても疎ましくて、とても愛情を感じる。


こうやって感情をいじくりだしては、泣いてふせいで、次の日にはけろっとしていたり
こんなことを何回も何回も繰り返していつか平気になるんだろうと思う。
また妊活を頑張って、きっとまたいつか妊娠するんだろうと思う。
妊娠したら次は初期はとにかく安静にして親にも妊娠したことを言わず、出産まで流産の恐怖に怯えながら過ごすんだと思う。

それですら希望的観測であることが怖い。子ができない不安、出来てもまた流れるかも知られない不安。人生ってこんなに不安だらけだったっけ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?