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愛猫の最期を看取る

食欲が徐々に落ち、体重も減って、ほとんど1日中寝ているようになり、家具の下や部屋の隅に行きたがる。絞り出すような呼吸が苦しそう。

いよいよかな、もう十分頑張ってきた。ひどく苦しむようであれば早く楽にしてあげたい。そう思いつつ、その日も仕事から帰った後、補液のためチョコを動物病院に連れて行った。

木曜で休診日の動物病院はとても静かだ。毎日の補液が欠かせなくなっていたので、休診日でも、入院している子たちをみている先生が対応してくださっている。

この様子だと今夜か、明日か。今日安楽死させた方がいいだろうか?相談すると、下痢や嘔吐が止まらないとか、どこか痛くて鳴いて苦しんでいるといった状態ではないので、お勧めするような段階ではないとの事。飼い主さんの強い希望があれば、しますが。と言われて考える。母と顔を見合わせる。

結局、主治医の先生がいない日に、というのもどうかと思われるので、明日の診察までに苦しまなければ良いな…と祈る気持ちで連れ帰った。

呼吸の苦しさは増していくようで、見ていて辛い。それでもトイレには立ち上がって行こうとするので、寝ているそばにトイレを移動した。
ところが、せっかくそばまで動かしたトイレは素通りして、もともとトイレを置いていた場所まで来ておしっこをしたので、この位置でするもの、と思っているらしい。
何かというとテレビの裏とかお布団の上とか粗相して難儀したのに、最期は律儀に場所を守ろうとするところ、泣ける。

その日は雨で

翌朝苦しそうな猫の姿に後ろ髪を引かれながら私は仕事に行って、その日17時までの勤務を、16時であがらせてもらった。帰宅したところ10分ほど間に合わず、愛猫は息を引き取っていた。

最期は母が看取ってくれた。呼吸がそれまでになく早く、口呼吸になり、途中で降り出した激しい雨の音に驚いた様子をしていた。ハッと息を吐き出したのが数回、それが最期だった、との事。

チョコは私の寝室にピンと伸ばした手脚と開いたままの目で横たわっていた。苦しかったね、よくがんばったね、お疲れさま。

亡くなるとき嘔吐も排泄も伴わなかったので、亡き骸に目立った汚れはなく、ペット用のウエットシートで軽く拭くのみで、手頃な大きさのダンボール箱の中に新聞紙とペットシーツを敷いて横たえた。何処にも力の入っていない体はぐにゃぐにゃで、二人がかりでおそるおそる持ち上げた。

毛並みを整え、伸びた手脚をたたんでそっと目を閉じる。目はどうしても閉じきらなかったので、濡らしたガーゼを目元に載せた。体の周りに丸めた新聞紙と保冷剤を詰めて、丸くなって寝ている姿になるように体を支える。

犬も猫も最期は四肢を伸ばしていることが多いらしい。うっかりそのままにしておくと、その姿のまま硬直して、棺に入らない、なんて事になる。
…という話をネットであらかじめ読んでいた。
今は、大概のことがインターネットで調べられるのでありがたい。いよいよ、という時にどうして良いかわからなくなることは予想できたので、実はあらかじめ色々と調べていたのだ。

火葬をどうするかも母と相談してあって、ペットを見送った友人たち数人に訊いて教えてもらい、幾つかある選択肢の中から、市内のペット葬儀屋さんにお願いしようと決めていた。

動物病院にはその日も診察の予約を入れていたので連絡して、主治医の先生とお話しした後、葬儀屋さんに火葬の予約を入れた。チョコを拾って我が家に譲ってくれたご夫婦にも報告したところ、お別れに立ち会ってくれることに。

お別れは思い出話をしながら

翌朝はトイレを片付けたり、掃除機をかけたり、お花を買いに走ったりとバタバタして過ごした。お昼に車で家を出て途中約束のご夫婦を拾い葬儀場へ。チョコを譲ってもらってから14年半、近況報告をしつつ猫グッズを贈りあう交流が続いていたので、思い出話やら家族の近況なんかを話しながらのお別れになり、沈んだ気持ちに陥ること無く、むしろ明るい雰囲気で見送ることができて良かったと思う。

後日、長くお世話になった病院にはあらためて挨拶に行き、先生にお礼を言って、慰めと労いの言葉をかけていただいた。こうして我が家の猫との日々は終わった。チョコも、母と私も、先生たちも、精一杯頑張った3年間だった。

大きくて、賢くて、可愛い、最高の猫。それは間違いなくいつまでも変わらない。

(記事終わり)

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