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ゲイとして(大学の時)

ゲイ向けマッチングアプリを知ったのは大学のセクシャルマイノリティサークルの飲み会に一度だけ参加したからだ。そこで隣の席の方に教えて頂いた。
ただ、そのサークルの雰囲気は全く合わずこの世の終わりのような飲み会だった。大学の時、当初私は少しふっくらしていた。マッチングアプリの自撮りもこだわらなかったのであまり良い方と巡り会えなかった。その当時は航空会社にお勤めの40代の方のマンションにたまに遊びに行くぐらいだった。
 転機が訪れたのは2015年、ダイエットをし、15キロ体重を落とした。そこでプロフィール写真も更新した。一気にお誘いの声が増えた。嬉しくて嬉しくてとにかくやりまくった。月火水木金と毎日違う人とマッチングアプリでやり取りし出会っていた。
 その頃、嬉しくなって自分がどこまで相手にされるか気になり今は無い梅田にあった発展場へたった一度だけ行った。事を終えて、ロッカーで着替えていた時の事だった。うっかり私はその日大学名と部活名がデカデカと書かれたジャケットを羽織っていた。
 一人の男性から声をかけられた。
「神大生なの?」
やらかした。血の気が引くのが自分でも分かった。
「俺、家鶴甲なんだよ☺」「この後ご飯まだだったら食べに行かない?」 めちゃめちゃ紳士だった。その後ご飯を食べに行き連絡先を交換。定期的に相手の車で兵庫県や近県をドライブするようになった。後にこの方が初めてお付き合いをして3年過ごしたKさんである。
 Kさんは自分より10歳年上の社会人だった。学生では手の出ない価格帯のお店や自家用車を出してくれる事、運転がとても上手でいつもブルガリのブルーの香水を付けていた事、お仕事がその当時、スポーツジムのインストラクターだったため、身体がかっこよかった事、すぐにメロメロになった。安室奈美恵の大ファンで自分も家で必死に勉強した。say the wordと愛してマスカットを聞くと今でも思い出す。別れるきっかけになったのは大学4年の10月。
私が神鋼の内定式に出て最高に浮かれている時、
こんなラインが来た「転職がうまくいかない」私は酔っていてこう返した「おめでたい席に出てるのにそんな事で連絡してこないで欲しい」このライン以降お互い気まずくなってしまい1ヶ月後に別れた。
共通の知人によると彼はその後転職活動がうまくいかず、自殺未遂を起こしてしまいその時に頭を強く打ったそうで高次脳機能障害になった。昔の事は何も覚えておらず、あんなに大好きだった安室奈美恵への興味もなくなったそう。ただ知人によると生石高原のススキをテレビで見て一言だけ「懐かしい気がする」といったらしい。生石高原は私と初めて遠出した時の目的地である。もう会えないけれど
30秒だけ会えるならきちんと謝りたいなとふとした時に思う。


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