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習慣にしたいこと

子供の頃にやっていた習字。

週に一度通い、小学校から中学校まで通っていた。

数ある習い事から、唯一長く続いた習い事だった。

社会人になっても、時々書きたくなり筆をとる。

社内でも筆のたつ上司がおり、文字のやり取りなどもしていた。

毎年の年賀状書きは、私の大好きなルーティンの一つだった。

どんな職場に行っても、書くことはとても重宝がられた。文字が書けることで他の課からも仕事の依頼が来る。書くことが苦手な人から、「書いて!書いて!」と頼まれる。

就職のための面接でも、字はとても褒められたものだ。しかし、それは職種によっては採用の基準にはならなかった。

30代に結婚すると、嫁ぎ先は仏像を彫刻する工房だった。お寺からの山号額の依頼があると義父に文字を頼まれた。

「役に立ってよかった。」と思ったものだ。

誰からも「きれい」「うまい」「上手」「お手本にしたい」など、さまざまに褒められるけれど、自分の中ではまだまだ味のある文字を書きたい、と思っていた。人にも教えてあげたい、書家のようにのびのびと芸術的に表現してみたい、なぜこんなにも自分は書くことが好きなのか探求してみたい〜、一年一年そんな思いが募っていった。

そんなある日、時々通う文具屋さんの隣に 書道教室の看板が出ていた。以前から目にはしていたがどんな人なのか誰がやっているのか全く知らないし、綺麗な看板に若い方がやられているんだろうな、その程度しか思っていなかった。そこに、顔見知りの方が奥から出ていらした。

「あー、こんにちは。この看板、以前から気になっていたんですが〜」

ついつい、そんなことを聞いてしまった。

ご主人は機嫌良く、

「あぁ、これは私の娘がやっているんです……」

とても意外で、商店街で化粧品屋さんを営む家の娘さんだとわかった。

「ぜひぜひ、教室を覗いてみてください。今ごろちょうどやってますから。」

この言葉に、これまで結婚して依頼、望み続けていた書を再開したいとの思いの実現に近づこうとしていた。

少しドキドキしながら、ご主人に教えられた道を辿って教室に辿り着いた。

商売をされている家の娘さまだけあって、とても軽快に快く対応してくれた。

「大人の教室は、ゆっくり楽しんでやってますので、ぜひおいでください。」とのお誘いでした。

そして、書道を再開できて丸一年。

ひと月ひと月は、慣れない時間帯に出かけるという習慣になれず、「自分のために時間を割いて、なんとも私にとっては贅沢な時間だな。」とのおもいを抱えながらの一年間。体調の不具合でひと月のお休みも挟んで繰り返しを継続中。子供の時からの書き方の癖がだんだんとれてきた実感もあり、先生からも時々お褒めの言葉もいただける。

私の目的は、永久に遺る文字を書くこと。永久に遺したいとおもわされる字を一つ一つ仕上げてゆくこと。

字の中に歴史がある。多くの先人たちが書いてきた文字の中に人の歴史がある。人が生き続けているバトンを渡している。その営みを感じる。象形文字や古代の文字まで遡って文字の成り立ちについて深く深く探ってゆきたいとおもう。

私の習慣。週一で先生の添削を受けるために課題を書くこと。

筆をとり、墨を注ぎ、書く。

この繰り返し。

子供の頃、「墨を擦っていると心が落ち着く。」と大人が言う言葉を聞いて、そんな気分だけのもの‥‥本当に存在するのだろうか、と疑っていた。

今の私は、墨を擦る時間さえとってはいないが、『書く』(毛筆)という行為が、私の落ち着きの時間になっている。筆遣いの中に、深い歴史を感じながら。

これが習慣のように私の中のライフスタイルの一つとなっている。

#習慣にしていること

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