いちにちのあいだに20191109

いちにちのあいだに躁と鬱がなんどもまわる

めざめてから覚醒するまでが遅い、運動量の問題かもしれないが、飯を食って煙草を吸うだけでは、眠気がまったく吹き飛んでゆかない 町屋良平を読み、鬱を共感して泣きたくなる、これはわたしの物語だとおもえるものがこの世界にいくつあるだろうか、でもそれらはぜったいに、わたしの物語なんかではなく、発したひとたちのものだ、わたしの物語はわたしのなかにしかない だれにも完全にはわからない 物語を享受するにんげんは、物語を自分に落とし込み、自分にあてはめて、物語を自分のものにしようとするだけだ わたしだけが発することができることばがいくつあるだろうか わたしだけが本当の意味をわかることばが、わたしだけが選び繋げられることばたちが、わたしがいままで摂取したことばのなかで、いくつ、

思考が言語に寄り過ぎている はっきりと言語化する必要はないのに、言語化して定着をはかり、自分を俯瞰して理解しようとし、そして伝播をはかる ただほかに表現する手段を持ち得ないからかもしれない スポーツも、音楽も、肉体に寄った表現がない、絵はたまに描くけれど、それはわたしの技量では完全にならないから、言語が結局いちばん意思を明確に書き留めることができる、けれどわたしの知り得ない言語によって表現され得る思考領域がまだあるだろう、その気配はかんじる、でもそのことばを知らないから、その領域が拓けない、本を読まないと、辞書をひかないと、ただ、それだけの時間がわたしにあるだろうか、わたしにも、生活がある、すべて自分でやらなければいけない生活が、

部屋を片付けている 服を捨てる 捨てることに慣れなければならない もっと切り捨てなければ、かつて支払った金銭を惜しむよりも、目の前に不必要なものがあることをかんがえて、捨てて、燃やさなければ、あたらしい本棚がほしい、生活が、うつくしい生活がほしい、わたしだけの、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?