病気

慢性骨髄性白血病というがんを患いました。

初めに書いておきたいのは
"一生涯、抗がん剤と付き合っていけば、これが原因で急死することはなく、高確率で生きていける病気"
ということです。

このnoteは同じ病気の方や、他のがん患者さんに向けて記載するものではありません。
24歳6ヵ月で慢性骨髄性白血病になった僕が
「どんな病気の理解度で」「どんなことを感じ」「どんな考え方をしていたか」を先の将来に振り返るものとして。
そして今関わってくれている人に自分の状態を周知するものとして書き記しています。

自身の病気への理解や知識が間違っているものもあるかもしれません。
情報が足りていないこともあるかもしれません。
それでも2023年5月のリアルな状態を記録する目的を持って、noteにしています。

面識のない方からの内容に関する意見や指摘は、ご遠慮いただければと思います。

慢性骨髄性白血病とは

慢性骨髄性白血病というのは血液のがんで、いわゆる腫瘍ができるタイプのがんとは少し違います。

主に慢性期、移行期、急性期という3段階に分けることができるそうです。

慢性期はざっくり5~6年続く自覚症状がない(ことが多い)時期で、おかしくなり初め、という感じ
放っておくと移行期となり、6~9ヵ月で徐々に急性期へ移行し
急性期となると、明確に体に異常が見られ、やがては。
といった3段階。

今の僕は”慢性期”にあり、現代では血液検査などで白血球の異常から発覚することが多いようです。
僕自身も会社の健康診断で発覚しています。

初めに書いた
"一生涯、抗がん剤と付き合っていけば、これが原因で急死することはなく、高確率で生きていける病気"
というのは、抗がん剤で白血球や諸々の状態を正常に保ち、移行期にさせないことで、急性転化(めっちゃ悪化すること)を防ぐという感じらしいです。

この病気は特に、ここ数十年での医学の進歩が凄まじい分野らしく、担当医曰く、一昔前は治療法がなく、数年後の生存率は限りなく低かったようです。
それが今は移行期を先延ばしにできる、更に生きてるうちに病状が回復、あるいは寛解する薬が開発される可能性もありますから、がんの中ではラッキーな方だったのかもしれません。

現状に至るまでの僕

前項でも記載しましたが、今の僕は"慢性期"の状態にあり、自覚症状は何もありません。

時はさかのぼり2022年12月。
会社の健康診断へ行き検査も終え、さて昼ごはんでも食べて帰って午後の仕事でも。といったところで健診センターの方からお声が。
「お伝えすることがありますので別室でお待ちいただけますか?」と。
まぁ飲みすぎで肝機能でも引っ掛かったのかなぁ、くらいの気持ちで別室へ行くと、医者から白血球数値が異常であることを教えられました。

白血球の基準値は大体3,000~8,000くらいのところ、僕の数値は30,000でした。そりゃ異常で別室にも呼びつけますよね、という感じ。
一時的な炎症などで増加することもあるようですが、この数値はそれではなかなか見られない数値ということで、大病院への紹介状をもらい精密検査へ。
そしてなんやかんや痛い検査やらなにやらをしたところ、開けてびっくり白血病。がんです。と言われ気が付けば今です。

なので、検査段階から現在に至るまで、「慢性骨髄性白血病の自覚症状」というものは何も出ていません。
ですが、もちろん放っておくわけにもいかないので、現在抗がん剤の服用で白血球を落ち着かせている状態になります。
というか寛解するようなことがなければ基本はずっとこの感じのようです。

抗がん剤

抗がん剤ってね、ファッキンクソ高額なんですよ。
今の僕はなんと一日分の薬だけで15,000円くらい?かかってます。生きていくだけでこれだけかかるってヤバイですね☆ってペコも言ってました。

もちろん会社の保険制度だったり、自分のがん保険だったり、様々な制度に助けられているおかげで、自身の生活が危ぶまれる。なんてことにはなっていません。
高いと言えど、身体を無事に保ってくれる薬を開発・製造して僕らの元へ届けてくれていることは、本当にすごいことだと感じますし、感謝してもしきれません。
そしてそれらをなんやかんやで手にすることができる。こればかりは日本に生まれてよかったと心から思ってます。ありがとう保険。

お金の話は置いといて、飲んでる抗がん剤についても書き残します。

ボシュリフ(ボスチニブ)という薬を服用していて、こないだまでは1日1回朝に3錠でしたが、今は4錠に増えました。
副作用は下痢と肝機能障害、他諸々。
僕の場合は元々お腹が弱いこともあってか顕著に副作用が出ています。

汚い話ですが、食後の下痢止めを飲まないと下るときも多いですし、肝機能も嗜む程度の飲酒には支障ありませんが、数値は悪化しました。

服用による容体について。
白血球の数値、そして異常が起きていた染色体の数値が急激によくなりました。
目標数値に近づけるため、継続的な服用は必要なものの、しっかりと効いています。

副作用は、上記に書いた通りのものが現れたり現れなかったりします。
他にもなんとなくの胸のムカつきや吐き気が来る時もあり、稀ーーーーに、生活に支障が出るときがあるかな、くらいのものです。

今の環境について

幸い転職してきて1年、東京の病院ということもあって様々な都合が付きやすく便利でいいです。
担当医も話をよく聴いてくれる、そしてしっかりと話してくれる先生で、医者からすれば年端も行かないような僕に対しても、真摯な対応を取ってくださっています。

会社についても、病気を理解してくれ、また在宅ワークが中心だったことも功を奏し、生活しやすい働き方をさせてもらっています。

趣味は、一旦外向きの活動はお休み気味。

外に出かける分にも、イベントに遊びにいく分にも、しっかりと体調を整えれば割と普通の人と何ら変わらず可能です。(薬飲み始めの頃はだいぶ安静するように意識してましたが)
ただ、日によって副作用ガチャなので、ごく稀に具合悪くなってやっぱり帰ります。。。ということもなきにしも非ずですが。

それが理由の全てというわけではないですが、DJイベントなんかに遊びに行く&出演することは大きく減りました。

その辺についても次項で書こうと思います。
とにかく、今の環境は決して悪いものではありません。
治療と生活、どちらも大切にしていける状態です。

したいこと、できること、やり残したくないこと

病気になってから、色んな考え方が変わっていきました。

元々仕事一筋!!!というタイプではなく、趣味のオタ活やゲームだったりを楽しむために仕事をしていこう、将来やりたいことができるように、仕事をしてお金を稼いで、"自由"を生み出していこう。という考えを持ってました。
この考え方自体は変わっておらず、今もそのスタンスで好きなことを仕事にしてやらせていただいてます。

ただ、DJやオタ活も含め、趣味に優先順位がしっかりとついたような感じがします。

今までの僕は、
DJは精力的にやっていきたい、アニメも見て、ゲームもして、コスプレもして、オタ活を中心に若いうちしかできないことを全部やろう。旅行とかは大人になってからもできるしな。

なんて考えがベースにありました。人生の終わりがずっとずっと先に見えてたから。
旅行は大人になってからも楽しめるし、車や家、まぁ期待はしてないけど結婚とか、そういうことはもっと落ち着いたら考えればいい。だって人生何十年もあるんだし。って。

それが今は、結構近くに死の存在を感じます。
薬があるといえど、悪化させないための治療といえど、人よりも身体に爆弾を抱えていることは確かです。
人の死に関する話を見かける度に、自分の病気が思い出されますし、がんの話題をきけば、自分の余生を考えます。
不思議ですよね。事故で急死する可能性なんかもずっとあったのだから、死との距離は変わっていないはずなのに、急に考えてしまうようになる。

そういったこともあってか、自分のできること、やりたいことに後悔したくない気持ちが大きくなっていきました。

今年はたくさん旅行に行っています。実家と札幌への帰省はもちろん、関東圏や京都にも。今年中に沖縄にも行く予定でいます。

行けなかったこと、できなかったことを後悔したくないんです。
見たい景色も、見たい作品も、やりたいゲームもたくさんあります。
一方で、DJは一つ、札幌で自分の目標をやり遂げて、自分の役目を一段落させたと勝手に思っています。

DJが嫌いになったとか、イベントに行く気がなくなったことはなく、それよりもやっておきたい、できなきゃ後悔するであろうことがたくさんあるので、そういった場から少し離れています。
どうしてもアニメ見てアニソン聴いてってしてたら無限に時間かかりますもんね。

そんなこんなでmenoのTwitterが激しく動くこともなく、イベントに出没することもめっきり減ったというわけです。

人間関係

仲のいい友達や、信頼している人々、よく喋るゲーム仲間なんかには、病気のことはもう話してあります。
茶化すことなく聴いてくれて、失礼ながらみんな(意外と)良識あるんだなって思いました。

重たい相談に乗ってくれる人生の先輩やがんの先輩にはいつも支えられてますし、同年代のオタクには心配を吹き飛ばす気楽な話にいつも助けられています。

僕はできるだけ気丈に振る舞うように心がけていますし、持病すら最強のTier1自虐ネタとして擦っていますが、それでも1人で将来のことを考えると不安でどうしようもなくなります。

支えてくれる人の存在は偉大です。それは友人であったり、恋人であったり、家族であったり様々ですが、皆一様に、その人の事を大切に思っているのは変わらないのでしょう。
そういう人の温かみを、とてもありがたいと思うようになりました。

僕は人の事を"まず嫌いから入る"ような面倒くさいタイプなので、皆さんに心配して!と恩着せがましいことを言える立場ではありませんが、関わったことがある方は、織町マキシというオタクが、menoというオタクが病気を抱えて生きていくんだなぁ、ということを認識してもらえたら嬉しいです。

支えてくれる友人達や家族に恩返しができるように長生きしつつ、自分も誰かを支える側でいたいなと、強く思っています。

先の人生が、長いものになってくれることを願いながら、経過を綴ります。


かしこ

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